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#014

大阪府だんじり彫物師
原 宜典

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だんじり彫物師 
原 宜典

Hara Yoshinori
1983年 大阪府生まれ

幼い頃から「だんじり祭」が大好きで、中学校を卒業する頃には「だんじり(地車)」そのものに強い関心を抱くようになる。

そして16歳の時、高校を中退して「だんじり彫物」の第一人者である木下賢治さんに弟子入り。

20歳の時に一度修業を中断するものの、1年半後に復帰。

以来、修業に専念し、2009年の秋には年季明けを許され、晴れて一人前の彫物師の仲間入りを果たした。

だんじりの彫物には木目の美しい けやき が用いられる。
原さんは今回、だんじりの一番重要な場所「土呂幕」を任された。

原 宜典さん インタビュー
だんじり彫物師になろうと思ったきっかけは?

高校に進学したものの、あまり面白くなかったんです。「こんなことをしているくらいなら働きたいな」、そう思っていました。そしたら、たまたま僕の家の近くに木下彫刻工芸があったんです。今思えば、何かの縁だったのかな、なんて思います。

初めは雇ってもらうっていうつもりは全くありませんでした。とりあえず「どういう仕事をしているんだろう?どうやって彫っているんだろう?」という興味だけで見学させていただいていました。

でも、そうやって見ているうちに、「おもしろそうやなぁ…」と、更に興味が深まったんです。

それから何日か経って、親方から「やってみるか?」と声をかけていただき、それが彫物師の道へと進むきっかけになりました。

2年の歳月をかけて作られただんじり。
だんじりに魂を込める「入魂式」は、神社への勇壮な宮入りで始まる。

迷った時期はありませんでしたか?

20歳のときに工房を飛び出して、1年半ほど今の仕事を離れました。当時は遊びたかったんでしょうね。作業に慣れてきた、というのもあったと思います。

離れてみたものの、ちょっとすると「やっぱり彫刻しかない」と気づき、親方にもう一度弟子入りをお願いしたんです。わがまま言って辞めた僕をまたこうやって受け入れてくれました、本当に頭が上がらないですね。

今では、だんじり彫物師になって本当に良かったと思っています。街の皆さんの楽しそうな顔を見た時は、心の底から一生懸命作ってよかったと実感しますね。その笑顔のために、その笑顔が見たいから、もっともっと技を磨いていきたいです。

原 宜典さん
弟子
原 宜典さん
木下 賢治さん
師匠
木下 賢治さん

師匠
木下 賢治さん インタビュー

原さんの印象は?

本当のこと言うと、はじめは入門させるつもりじゃなかったんです。

ところが原くんは、一週間ほど毎日通ってきて、どちらかと言うと、私が根負けした感じなんですよ。そこまで熱心に通ってくれたので、「じゃあいっぺんやってみようか」と声をかけたんです。

でも彼は、途中で挫折したんですよ。その当時、どういう心境だったかよく分かりませんが。

そして、一年以上経ってから、「やはり、もう一度やりたい」と再びやって来ました。

それからというもの、もの凄く一生懸命に修業をしてくれています。

取材を終えて

だんじり祭の様子はテレビで見たことがありましたが、だんじり自体にここまで細かい彫物が施されているとは知らず、その芸術性の高さに驚かされました。細かな彫刻一つひとつに見られる気迫は、職人たちが一刀一刀に込めた想いがそのまま表れているようでした。

長い年月をかけ制作しただんじりが町へと引き渡された日。私たちが見た原さんの姿はとても印象的でした。

初めて人前で披露されただんじりを見て、こみ上げる涙をぐっとこらえる姿。
そして、そのだんじりと一緒に街を駆け抜けながら、子どものように笑う姿。

だんじりを愛している、どちらの姿にもその想いが溢れ出ていて、撮影していたこちらまで清々しい気持ちになりました。

これからはだんじり祭を見る時は、そこに施された無数の彫刻と、勇壮な祭を陰で支える職人たちの姿をきっと思い出すことでしょう。

だんじり

だんじり

岸和田、泉大津など大阪府泉州地域で、毎年秋に開催される「だんじり祭」。

「だんじり(地車)」が街中を勇壮果敢に駆け抜ける。

この「だんじり」は、1000を超えるパーツを組み合わせて作られており、その一つひとつに、見事なまでの繊細な彫物が施されている。完成までには10人の職人が1年以上の月日をかける。

欅の木目を活かした美しい仕上がりは、美術品と言っても過言ではない。