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#033

富山県井波彫刻職人
田中 郁聡

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井波彫刻いなみちょうこく職人 
田中 郁聡

Tanaka Fumiaki
1982年 愛知県生まれ

幼い頃より絵を描くことが好きだった田中さん。

自身の成長に伴い、将来は「ものづくり」に関わる仕事に就きたいとの思いを抱くようになっていった。

そして、母の故郷である富山県に伝統工芸「井波彫刻いなみちょうこく」があることを知り、その繊細かつ大胆な彫刻に魅了される。

23歳の時、伝統工芸士 池田誠吉氏に弟子入り。住み込みで修業に励み、2011年、独り立ちを許された。

井波彫刻発祥の地である瑞泉寺。
江戸時代中期、再建にあたって京都の御用彫刻師が加わり、優れた寺院彫刻を残す。
これが井波の職人にとって大きな転機となった。

田中 郁聡さん インタビュー
井波彫刻職人になろうと決めた、きっかけは?

子どもの頃から絵を描くことが大好きでした。絵を描いていると、時間が経つのを忘れてしまうくらいに。気がつくと何時間も筆を握っていることが度々ありました。なんと言いますか、言葉では表せないことも絵なら表現することができたんです。

デザインの専門学校に入る頃には、「将来はものづくりに関わる仕事がしたい」と強く思うようになっていて、学生時代は絵に限らず、さまざまな作品を見て、自分なりに知識や感性を養っていったんです。

その頃、たまたま母の故郷である富山県に伝統工芸「井波彫刻」があることを知り、一瞬でその造形美に魅了されてしまいました。深く彫られてできた陰影や繊細な表現、「いったいどうやって彫っているんだろう?」と、その日からすっかり虜になり、「自分で彫ってみたい」という想いに変わっていきました。

そして、親方(伝統工芸士 池田誠吉氏)と出会い、その作風、作品に強く引き込まれ、入門を願い出ました。親方の作品は繊細かつ、躍動感にあふれ、見る者を圧倒する存在感がありました。

未完成のまま眠っていた「木鼻きばな」の彫刻。
親方から伝授された技をもって完成させる時がきた。
題材は悪夢を喰らうという伝説の生き物「ばく」。

どんな井波彫刻職人になりたいですか?

井波彫刻は伝統的な社寺彫刻や欄間らんまが有名ですが、獅子頭や天神様の置き物などさまざまな品が作られていて、それぞれ違った難しさがあります。「これだけ」ではなく、どんなものでも自分のイメージ通りに彫れる職人になりたいと思っています。

親方から年季明けを許されましたが、まだまだ技術も経験も足りません。一日一日が勉強、修業です。

弟子時代は親方の背中を見て学んでいれば良かったんですが、独立した今は、すべて自分で考え前へ進まなければなりません。今、あらためて親方の偉大さを実感しています。そしていつの日か、尊敬する親方の作風と自分独自の作風を合わせ持った職人になれればと考えています。

田中 郁聡さん
井波彫刻職人
田中 郁聡さん
池田 誠吉さん
親方
池田 誠吉さん

親方 池田 誠吉さん
インタビュー

田中さんに、どんな職人になってもらいたいですか?

今まで多くの若い職人を見てきましたが、彼には他の人にはない天性のセンスがあったように思います。入門当時から私があまり細かい指示をしなくても、何がしたいのかを理解し作業でき、また、技術ののみ込みも早く、日に日に成長していきました。

今では彫る技術もある程度のレベルに達しているし、発想も良いものを持っています。

これからは、井波彫刻の伝統を守りつつ、自分なりの作風を作り上げていって欲しいと思っています。それには井波彫刻に限らず、さまざまな職人の作品に触れ、その人たちと交流を持つことです。彼なら新しい発見を必ず自分に活かすことができますから。

取材を終えて

仕事場を離れ、町の彫刻教室で子どもたちに彫刻刀の扱い方や彫り方を丁寧に教える田中さん。「作品の良いところを見つけていっぱい褒めてあげます」と、一人ひとりの作品を丁寧に見て優しく声をかけていました。褒められた子どもたちは弾けんばかりの笑みで、自分の作品を友達に見せてまわっていました。

その姿を笑顔で見ていた田中さんが、「あのうれしそうな姿って、親方に入門した頃の自分なんです」と語りかけてきました。初めて親方から褒められた自分の姿と重なって見えるのだと。

「親方にもらったたくさんの言葉があったから今の自分があるんです」。人と人の絆やつながり、思いやりを大切にする田中さんの人柄に触れ、彼が親方から受け継いだものの大きさを感じることができました。

井波彫刻

井波彫刻いなみちょうこく

富山県南砺なんと井波いなみで作られる木彫刻で、200本以上もののみを駆使して生みだす深い彫りが特徴。

技術が生まれた背景には、木造建築寺院 瑞泉寺ずいせんじの度重なる焼失と再建がある。

江戸時代中期の再建には京都の御用彫刻師が加わり、優れた社寺彫刻を残した。

井波の職人が京都の技術を学び、幾度の再建で培った大工の技と融合させることで、繊細で大胆な井波彫刻が確立された。