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#041

富山県烏帽子職人
四日市 健

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烏帽子職人
四日市 健

Yokkaichi Ken
1980年 富山県生まれ

富山県高岡市で郷土料理の店を営む家に生まれる。

地元の高校に通う中、もっとたくさんの人と出会って見聞を広めたいと東京の大学に進学。

その後、テレビ番組の制作会社に就職し、30歳を機に帰郷。
そこで数少ない「烏帽子職人」の四津谷敬一氏と出会い、烏帽子作りの魅力や四津谷氏の人柄に強く惹かれ、弟子入りを志願する。

偉大な師匠のもとで、日本の伝統的技術を継承するため、日々、習得に励んでいる。

平安時代から今日まで、1000年以上の歴史を持つ烏帽子。
現代では主に神職の装いとして用いられている。

四日市 健さん インタビュー
「烏帽子職人」になろうとした、きっかけは?

以前は東京でテレビ番組の制作の仕事をしていたんです。とてもやりがいのある仕事でしたが、日々時間に追われていて、30歳を目前にして生活や仕事のことを見つめ直すようになり、いろいろ考えた結果、故郷富山に帰ることに決めました。

実家に戻ると、父から「日本で数少ない烏帽子職人が富山にいる」との話を聞きました。「烏帽子」そのものに新鮮な印象を覚えるとともに、「その職人さんに会ってみたい」と強く思ったんです。「なんか面白そうだ、見てみたい」という直感でした。その職人さんこそが、今の師匠 四津谷さんです。

それからすぐに四津谷さんを訪ね作業を拝見させていただきました。もちろん、仕事を見つけるために行ったわけではなく、あくまで好奇心からです。

実際、その工程はとても興味深く、驚きと発見の連続でした。「次はどうなるんだろう、そのまた次は…」と楽しんでいたら、1ヵ月も通い詰めていたんです(笑)。そして、烏帽子作りに惹かれ、その伝統的な技術を習得したいという気持ちが日に日に大きくなっていきました。

また、四津谷さんの烏帽子作りに対する職人としての想いや人柄に触れ、「四津谷さんの弟子になりたい」と強く思い、弟子入りを願い出ました。

糊を引き重ねた和紙を型に載せ、「ささら」で打ち、
「しぼ」と呼ばれる凹凸を作る。

どんな「烏帽子職人」になりたいですか?

烏帽子作りは、全ての工程において、見るのとやるのでは大違いでした。師匠が簡単そうにやっている作業が、いかに難しく、高度な技術と経験が必要なのかを思い知らされました。

師匠の見事な手さばきと、その速さには今も目を見張ります。そして、なんといっても完成品が美しく、ぶれがありません。少しでも早く師匠のような職人になりたいと思っています。

また、職人になったばかりの頃は、単純に烏帽子作りが面白いという気持ちだけで、「伝統を受け継ぐことの重さや大切さ」に気づいていませんでした。しかし、代々受け継がれてきた技術を少しずつ覚えていくにつれ、後継者になったことの責任を理解するようになり、それを強く感じています。

師匠の技術を受け継ぎ、次の世代に伝え、この伝統を確実に繋げていかなければいけない。常にその思いと覚悟を胸に烏帽子作りに取り組んでいます。

四日市 健さん
弟子
四日市 健さん
師匠 四津谷 敬一さん
師匠
四津谷 敬一さん

師匠 四津谷 敬一さん
インタビュー

四日市さんは、どんな職人ですか?

弟子入りの話はこれまで何人かありましたが、すべて駄目でした。本人のやる気の問題とか理由はさまざまでしたが、最後の最後には「縁」がなければうまくいかないと思っています。私も歳ですから、彼が訪ねてくるまでは「もう私には弟子はない」と考えていました。

しかし、彼が来て私の作業を食い入るように見るその表情や交わす言葉から、なんとなく「縁」を感じたんです。

ちょっとしたことでも、すごく興味を持って一生懸命やっていますので教えがいがあります。「烏帽子職人」としてはまだまだですが、でも私の若い頃に比べたら覚えも成長も早いです。

物づくりは少しでも気を抜くと、はっきりと結果に表れます、それなりの物しかできません。
いつでも烏帽子を被る人のことを大切に考えながら烏帽子作りに励んでほしいと思います。

取材を終えて

四日市さんを職人の道へと導いたのは烏帽子作りへの興味はもちろん、師匠である四津谷さんの存在、人柄、そして二人の「縁」。

作業中、高齢の師匠を気遣う場面が幾度も見られ、また昼休みには食事を作り一緒に食べる姿は、祖父と孫のよう。四日市さんにそう伝えると、「周りの方からよくそう言われるんですが、やはり僕にとって師匠は師匠。それも偉大な師匠です。祖父だなんて恐れ多いですよ」と笑った。

〝烏帽子作りの伝統を守る〟との強い意志を持つ四日市さん。そんな彼だからこそ、師匠も信頼し、温かな目を向ける。

穏やかで心地よい空気が満ちた工房で、日本の伝統は確かに受け継がれていた。

烏帽子

烏帽子えぼし

聖徳太子による冠位十二階の制定以降、冠が身分を象徴するものとなり、平安時代になると、成人男子は必ず被り物を着用し、床に伏す時にも脱ぐことはなかった。

公式の場では冠を、そして日常的に用いたのが烏帽子である。

やがてその風習は薄れ、正装時の儀礼的なものへと変化し、現在では主に神職の装束として、受け継がれている。