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福井県越前打刃物職人
田村 徹

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越前打刃物職人 
田村 徹

Tamura Toru
1988年 愛媛県生まれ

幼い頃から物づくりが大好きで、新居浜高等専門学校 材料工学科へ進学し、金属の性質などを5年間学んだ。

その後カナダへ渡り、日本の包丁を販売する会社で働く。

そこで越前打刃物と出会い、魅了され、越前打刃物の職人になろうと決意。帰国後、故郷を離れ、福井県で修行を始めた。

3年の修業後、現在の親方、清水正治氏に弟子入り。黄綬褒章も受賞した偉大なる師の下、研鑽の日々を送っている。

福井県越前市。
奈良時代、越前の政治的中心都市が置かれたこの歴史の町に、
日本刀の製造技術を受け継いだ打刃物がある。

田村 徹さん
インタビュー

「越前打刃物職人」を志したきっかけは?

祖父が自転車屋だったのですが、鉄を熱して曲げるといった鍛冶のようなこともしていて、小学生の頃、その道具を借りて見よう見まねで鉄を叩いて「刃物」を作ったこともありました。

将来の夢は、ものづくりで人に誇れる仕事をすることでした。

高専卒業後は、視野を広げたかったので、カナダにワーキングホリデーで行き、レストランの仕事に就きました。しかし、友人から「それでいいのか?お前の学んできたことはなんだ?」と質され、その言葉で奮起し、昔から興味があった「包丁」を扱うお店に職を移しました。その店で出会ったのが「越前打刃物」です。越前打刃物は薄くてよく切れる。本当にびっくりして、「日本に帰ったら、絶対にこれを作りたい」そう思ったんです。

打刃物は熱く熱した鉄を打って一つ一つ形作るため大量生産には向かないが、
用途に応じ様々な形を作ることができる。

親方、清水氏はどのような方ですか?

憧れの存在です。はじめて親方に会ったのはまだ別の会社で修業をしていた時だったのですが、親方はものすごい速さでごっつい出刃包丁を作っていて、すごくかっこよかったですね。それも片刃という難しいものを。ぼくも「どうせやるなら難しいものをやりたい!」と思い、親方に弟子入りを願い出ました。

どこの馬の骨ともわからないぼくに「やりたいなら、来いやぁ」って。本当にうれしかったです。面倒見のいい方なんですよね。

そして職人として、いつか越えたい壁です。まだまだ先のことですがね。何しろ74歳にして、筋力はぼくの3倍くらいありますから。

刃物の世界に飛び込んで5年。
初めての鮪包丁作りに挑戦する。

親方・清水 正治まさじさん
インタビュー

田村さんが弟子入りしたときどのようなお気持ちでしたか?

田村が弟子入りを志願してきたとき、妻が他界したばかりで正直仕事に身が入らず、もうやめようと思っていました。

でも田村の熱意に打たれ、自分ももういっぺんやってみようと触発されましたね。

技術はまだまだ。でもやる気のある子だから、いずれ自分の技術をすべて伝授した暁には、この工房も彼に譲りたいと思っています。

弟子 田村 徹さん
弟子
田村 徹さん
親方 清水 正治さん
親方
清水 正治まさじさん

取材を終えて

清水刃物がある越前市から車を30分程走らせると、美しい日本海を望む越前海岸に着く。

「越前がに」など海産物の宝庫であるこの海に、親方・清水さんは、自ら釣り船を運転し釣りに出かける。釣り上げた魚は自ら作った包丁で料理する。

さらに、清水さんはそば打ちの名人でもあり、ここでも自ら作ったそば切り包丁が大活躍する。

清水さん曰く「料理人の腕も重要だが、包丁も料理の味を左右する」という。

そんな親方に憧れを抱く田村さんは、故郷を離れてから自ら料理も作るようになったというが、包丁作り同様「まだまだ修行中」なのだという。偉大な親方に肩を並べる日はまだまだ遠い。

越前打刃物

越前打刃物

福井県越前市において700年の伝統を誇る刃物。型で抜いて作るのではなく、熱した鉄を打ち一つひとつ成型する。

日本古来の火づくり鍛造技術、手仕上げを守りながら、調理用の包丁、農業・園芸用の鎌、なた、苅込はさみ、鍬を主製品として作り続けている。

1979年、刃物産地としては全国で最初に国の伝統的工芸品の指定を受け、切れ味の良さや高いデザイン性から、ヨーロッパを中心に海外からも高い評価を受けている。