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#079

長野県箏職人 中川 祐一

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こと職人 
中川 祐一

Nakagawa Yuichi
1982年 長野県生まれ

少年時代は好奇心が旺盛で何にでも興味を抱き、彫刻刀を使って工作をするのが好きだった。

東京の専門学校に進学し、卒業後は飲食業に就く。

しかし27歳の時、テレビで放送されていた吉澤 武氏(後の師匠)の箏づくりの様子を見て衝撃を受け、職人になることを決意。吉澤氏に弟子入りを志願。

ことが売れる時代じゃない」と厳しい現状を伝えられても熱意は変わらず、箏職人の道を歩むことに。

以来5年間、アルバイトで生計を立てながら、師匠吉澤氏の下、手作業での箏づくりを学んでいる。

長野県東御市。
江戸時代宿場町として栄えた当時の街並みが、現在も残されている

中川祐一さん
インタビュー

「箏職人」を志した経緯は?

小学2年生の時、アニメで少年がお祖父さんから木彫りを教わるシーンを見て、「自分も木を彫って何かを作りたい!」と、親にねだって彫刻刀を買ってもらいました。その頃から、ものを作ることは好きでしたね。

専門学校を卒業した後は、知人の誘いもあってラーメン店に勤めました。そこは1日に400人くらいのお客さんが来て、メディアでも取り上げられる人気店だったので、仕事は大変でしたがそれなりに楽しかったです。

そして27歳の時、たまたまテレビで師匠の吉澤 武さんが箏を一から手で作っていく姿を見て、「一人でこんなすごいものが作れるのか!」と衝撃を受け、すぐに吉澤さんに電話をしました。

小さい頃から、ものづくりが好きだったことと、鼓笛隊や吹奏楽を経験して音楽が好きだったこともあり、楽器を自分で作れることにとても魅力を感じたのです。

確かに職人として生活していけるかの不安はありましたが、「やるなら今しかない」という気持ちのほうが強かったですね。

奏でるのは箏。
「箏」と「琴」は別の楽器を指す

将来の夢は?

まずはしっかり箏を作れるようになる。そして独り立ちして、ゆくゆくは自分の箏を求めてお客さんが来るようになれたら良いなと思います。

その一歩として、工房を兼ねた家を購入しました。もちろんまだまだ師匠に教わることはたくさんありますが、家の購入は「一生箏を作り続けるという覚悟」でもあります。

また、伝統的な十三絃の箏以外にも、二十絃、三十絃といった箏の奏者の方もいらっしゃるので、いつか作ってみたいと思っています。

音の反響を良くし、雑音を吸収する効果がある「綾杉彫り」

師匠 吉澤武氏
インタビュー

吉澤氏から見た中川さんは?

箏づくりでは「尺貫法」で数えるから、「㎝」で育っている中川くんはまだ苦労しているようです。

一人で箏一面を作れるようにはなりましたが、人には見えないような細かなところにも、もっと手をかけてほしいと思います。

今は箏が売れる時代じゃないし、外国産も多く、絃だけ日本で張って日本製と言っているようなものもたくさんある。こんな時代なので、「待っていてもお客さんが来るわけではないから、自分で開拓していかなければいけない」、と伝えたのです。

そうしたら、イベントで箏を展示するなど、彼なりに考え、行動を始めました。
すると昨夏、中川くんが展示した箏を見て、70歳の女性が「わたし箏をやったことはないけど、あなたの作った箏なら買いたい、箏をやってみる!」と言ってくれたのです。
本当に嬉しかった。本人より私の方が嬉しかったくらい(笑)。

私も彼に力をもらっているんです。弟子が来たことでいい刺激になって、本当に感謝しています。

弟子 中川 祐一さん
弟子
中川 祐一さん
師匠 吉澤 武さん
師匠
吉澤 武さん

取材を終えて

中川さんが働く東部湯の丸サービスエリアは真田家と縁が深い上田市にほど近く、サービスエリア内には「六文銭」の飾りつけがされていた。

聞くと、この飾りは中川さんの手作りで、利用客からも好評だそう。「誰かに喜んでもらえれば」と、とても優しく温厚な中川さん。またその師匠ご夫妻のご家庭もとても温かい雰囲気に包まれていた。

こうした温かく優しい人たちの手で作られるからこそ、美しい音色を奏でる素晴らしい箏に仕上がるのだと感じました。

箏

こと

箏は約1300年前の奈良時代に、宮廷音楽の雅楽を演奏する楽器の一つとして、中国から伝わった。江戸時代、上品で優雅な箏を習うことは、武家の娘のたしなみとされ、様々な演奏法や曲が生み出され、独自の発展を遂げた。

なお、「箏」と「琴」は厳密には別の楽器を指し、現在広まっている、13本の絃の下に「柱」という支柱を立てて音程を調節し演奏する楽器は「箏」と書く。

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