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#082

富山県鋳物職人 杉原 優子

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鋳物職人 
杉原 優子

Sugihara Yuko
1985年 富山県生まれ

小さい頃から絵を描くことが好きで、美術教師を目指していた。大学の授業で鋳物と出会い、その面白さに惹かれ基本的な技術を修得。

卒業後、鋳物の仕事に就きたいと考え、株式会社 能作への入社を志願するものの「女性の鋳物職人など長続きするはずがない」と社長に一蹴。しかし諦めることができず、1週間の無償でのアルバイトを許された。

そこで筋の良さと粘り強い性格を買われ、2007年、正式に社員として採用された。

本州の中央部にそびえ立つ
日本の屋根とも称される「日本アルプス」。
富山県高岡市

杉原優子さん
インタビュー

鋳物の魅力は?

「硬い金属がどうして思い通りの形になるんだろう?」と不思議に思ったのがきっかけです。

自分の造形したものが金属にかわり、できあがったものを見るとすごく嬉しくなります。そしてお客さんから「能作の錫商品使っているよ」という声を聞くと喜びもひとしおですね。

これからは、もっと技術を磨いて全ての金属を扱えるようになりたいです。

加熱してとかした金属を
型に流し込み製造する鋳物

先輩職人 志浦 健治氏
インタビュー

志浦氏から見た
杉原さんは?

杉原が入社してから9年間、つきっきりで技術を教えてきました。杉原本人から「自分を男性だと思って指導して欲しい」と言われていましたので、これまで厳しく指導してきました。とにかく彼女には根性がある。負けず嫌いな性格でがむしゃらにやる。そこが良いところだと思います。

また、彼女には先回りして色々と準備をしてくれます。仕事の内容を理解していなければ先回りして準備することはできませんから、よく仕事が分かってきたなという誇らしい思いと、ありがたいという気持ちとがあります。

今後は、作りたい製品の原型をぽんと渡され、そこからどうやって鋳込むための「鋳型」を作るか考えられるようになってほしいですね。この仕事、頭の中で図面を描けるようになってやっと一人前ですから。

後輩職人 杉原 優子さん
後輩職人
杉原 優子さん
先輩職人 志浦 健治氏
先輩職人
志浦 健治氏

取材を終えて

200度以上ある高温の錫。

鋳込む際の重さは10キロ以上。

砂で鋳型を作る「生型鋳造法」は一瞬でも気を抜けば砂は簡単に崩れてしまう。

過酷で一瞬も気を抜けない現場にもかかわらず、杉原さんは能作唯一の女性鋳物職人として、9年目を迎える。

彼女には鋳物収集という趣味がある。出向いた先で偶然出会い一目惚れして購入した鋳物は数え切れないほどあり、中には仏像もある。

自ら鋳物職人でありながら、他の職人が手掛けた鋳物にも興味を抱く。それこそ彼女がまだまだ成長していけることの証。彼女の飽くなき向上心は、高岡の鋳物の新しい伝統を創っていくに違いない。

高岡銅器

高岡と鋳物

高岡の鋳物の起源は1611年。加賀藩主前田利長が城下の繁栄のため7人の鋳物職人を現在の高岡市金屋町に招き入れたことが始まりとされる。

当初は大名に献上する美術工芸品として、鉄を主な素材としていた。

その後、江戸時代中頃から銅や真鍮などの合金を素材とした鋳物が盛んになり、明治期に入ると技術力は更に向上。

400年以上たった現在も、高岡は日本一の青銅器の産地として時代のニーズに合ったものづくりを続けている。