Nihashi Tomohiro
1982年 静岡県生まれ
母の実家が染色工場であり、幼い頃からその工場に出入りしていたため、「注染そめ」という仕事はごく身近な存在であった。いつかは「注染そめの仕事をやってみたい」との思いはあったものの、大学卒業後は故郷を離れ他県の運送会社に就職。
しかし、日が経つにつれ、物作りの仕事に対する憧れを抱くようになり、次第に「注染そめをやりたい」との思いが強くなっていった。
そして2008年、叔父である株式会社二橋染工場社長 二橋教正氏に願い出、注染そめ職人の道を歩み始める。以後、注染そめの伝統技法を身につけるための日々を送っている。
母の実家が染色工場なので、子供の頃から注染そめの現場で色々な作業を目にしてきました。小さい頃に見た染めに使う「やかん」の独特で印象的な形、それを自在に操る職人さんたち、これらが私の最も古い記憶なんです。
注染そめはとても身近な存在でしたから、「やってみたい」とは思っていたものの、実際にその職人になる、とまでは考えていませんでした。もともと物作りは好きでしたが、決して仕事にできるほどの才能が自分にあるとは思っていなかったので。
大学を卒業した後は、浜松を離れて愛知県の運送会社に就職しました。仕事柄、製造業の人と接することが多く、物作りの様々な話を聞いているうちに、職人への憧れを抱くようになっていって、それとともに子供の頃に染色工場で見た色々な作業の記憶も蘇ってきたんです。職人さんの手さばき、真剣な表情、そして、鮮やかに染めあげられた布。次第に注染そめへの思いが強くなっていきました。
会社に務め始めてから3年が経った頃、叔父(株式会社二橋染工場社長 二橋教正氏)に私の思いを伝え、受け入れていただきました。
注染そめは、とても奥が深いものです。簡単そうな作業に見える「やかんの注ぎ」も染める色、柄によって微妙に調整しなければなりません。
染料の基本は身につけているつもりですが、データー通りにやればほぼ間違いのない機械プリントと違い、注染そめはその時その時で変わります。
染める生地は全く同じものは存在せず、平に見えても真っ平らではないのです。生地、柄、色、すべてを見極めて判断していかなければなりません。
私の作業の仕上がりには、まだまだむらがあり、何が悪かったかが分からないことさえあります。
ベテランの先輩は作業が早く、仕上がりも完璧です。少しでも、先輩に近づきお客さんから信頼していただける職人になりたいと思っています。
真面目にコツコツとやるタイプです。ただ、真面目だけに慎重になり過ぎる場面があります。
今は自分で考え、そして失敗しながら経験を積んでいくしかありません。ですから、彼にはできるだけ任せるようにしています。
毎回異なる生地をきちんと見極め、仕上がりをイメージしながら染料と向き合う。そうすれば必ず良い職人になれると思います。
このままいくと彼が私の跡を継ぐことになりますが、そのためには時代を読み取る感覚を磨くことが必要です。その時代、その時代に合った色を見つけ、私とは違う感覚での「二橋」の名を広めて欲しいと願っています。
こちらの質問に言葉を選びながら丁寧に応えてくださった智浩さん、私たちは彼を「もの静かで大人しい」人柄で捉えていました。
ある日の休憩中、智浩さんに趣味を尋ねると、とても嬉しそうに話を始めました。趣味は車とバイク。バイク好きのスタッフと会話する彼の姿は、これまでの印象を大きく覆すものでした。
そして、ツーリングに出かけた際、行った先に自分が染めた手ぬぐいが販売されているのを見つけたそうです。遠くから見てすぐ自分のものだと分かり、あまりの嬉しさに暫くその様子を眺めていたということでした。
物作りが好きなこの若者が、やがて「浜松注染そめ」を担う日がくることを願って、私たちは工場を後にしました。
「注染そめ」とは、明治時代に生まれた染色技法で、染料を「やかん」と呼ばれる道具で注ぎ入れて生地を染めるところから、その名がついた。
生地を、じゃばら折りに畳んで両方の面から染めるため、片面ではなく表裏ともに美しく染まるのが大きな特徴でぼかしを生かした多彩な表現も可能である。
浜松は染め物に必要な豊富な水があり、乾燥に適した風が一年吹くため、江戸の頃より染め物が盛んで、東京、大阪と並んで注染そめの一大産地として知られている。