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#055

新潟県燕鎚起銅器職人
樋山 朗子

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燕鎚起銅器つばめついきどうき職人
樋山 朗子

Hiyama Akiko
1990年 新潟県生まれ

祖父が金物製造業を営んでおり、幼い頃からは工場で遊ぶことも多かったため、金属製品はとても身近な存在だった。

小学生の時、学校の授業で現在の勤め先である「玉川堂ぎょくせんどう」を訪れたこともあり、地場産業の「燕鎚起銅器つばめついきどうき」に魅力を感じるようになっていった。

そして、デザイン系の専門学校を卒業するにあたり、玉川堂への入社を希望。本人の強い意志が伝わり入社を認められる。

以後、優れた先輩職人の下で、伝統技術習得に励む日々を送っている。

職人の街・新潟県燕市で生まれた燕鎚起銅器。
鎚起銅器とは、一枚の銅板を金槌で打ち起こして作られる器のことである。

樋山 朗子さん インタビュー
燕鎚起銅器つばめついきどうき職人」になろうとした、きっかけは?

小学生の頃から工作などの手作業が好きだったので、漠然とですが「いずれは技術を身につけて、それを生かした職に就きたい」と思うようになっていました。高校卒業後はデザイン系の専門学校に進み、さまざまな素材のデザインを学び、数ある素材の中で自然と金属に興味を惹かれるようになりました。祖父が金属を扱う仕事をしていたので、子供の頃から身近にあり、一番親しいものだったのかもしれません。

就職を考える際、まず思い浮かべたのが「玉川堂ぎょくせんどう」です。

小学生の頃、授業で作業場の見学に来ていましたし、毎日、前の道を通っていましたので。地元の産業であり、金属を扱っていて、親しみのある場所の会社、もちろん玉川堂が一番でした。迷わず入社を希望しました。

あくまで均等に、同じ力で打ち続けなければならない。
慎重に、根気強く叩き続ける。

どんな「燕鎚起銅器職人」になりたいですか?

先輩の職人さんからさまざまなことを学ばせてもらっています。

私は手が小さく、打つ力も弱いので、最初は教えていただいても、なかなか上手くいきませんでした。でも、金槌の持ち方などを工夫したりすることで「自分なりの打ち方」が徐々にできるようになってきました。そして手の力も強くなってきたような気もします。

まだまだ多くは作れませんが、自分の作品として作りたいものが思い浮かぶようになりました。若手の職人が応募できる工芸展などがあれば、積極的に出品していこうと思っています。自分なりの自由な発想、技術の向上で、次の段階に進みたいです。

樋山 朗子さん
弟子
樋山 朗子さん
玉川堂 七代目 玉川 基行さん
玉川堂 七代目
玉川 基行さん

玉川堂 七代目
玉川 基行さん
インタビュー

樋山さんは、どんな職人ですか?

地元出身の職人希望者が少なくなっている今、彼女は子供の頃より金属に親しみを持ち、鎚起銅器を仕事に選んでくれました。

入社選考の際も樋山さんの地場産業で働き、技術を身につけたいという思いがすごく伝わりました。

今はまだ、さまざまな技術の基本を学んでいる最中ですが、これから多くの経験を積み自分なりの技を身に付けてもらいたいと思います。

伝統とはただ伝承するだけでなく、常に新たなチャレンジをすることで次の世代に伝えられると思います。樋山さんも、そんな挑戦し続ける職人になってもらいたいと思います。

取材を終えて

コンコン、コンコン、とてもリズミカルで印象的な銅の打音。職人さんたちの各々のリズムで金槌をふるう。まるで音楽を奏でるように打音が交差する作業場。その音色はとても心地よく、時間の経過を忘れるほど。

樋山さんは高校時代、吹奏楽部で打楽器を担当し、タンバリン、木琴、大太鼓、などさまざまな楽器を扱ったとのこと。「鎚起銅器も打つリズムが大事で、きれいに滑らかに仕上げるには、均等なリズムと同じ大きさの音がするように打たなければならないんです」と教えてくれた。先輩職人たちの奏でるリズムを体に刻み込むことも大切な技術習得方法の一つなのだ。

燕に生まれ、地元の伝統産業の担い手として職人の道を歩む樋山さん、彼女が奏でる銅を打つ音は、きっと次の世代にも受け継がれていく。

燕鎚起銅器

燕鎚起銅器つばめついきどうき

鎚起銅器とは、一枚の銅板を大小さまざまな金鎚、木槌で打ち延ばし、打ち縮め、茶器などの器を作りあげる金属工芸技術である。

燕鎚起銅器は江戸時代後期、仙台の渡り職人が燕に鎚起銅器の基礎となる製法を伝えたとされる。燕で鎚起銅器が確立、発展したのは近郊の弥彦山から優良な銅が産出され、素材の入手が容易であったことが背景にあり、経済産業大臣より「伝統的工芸品」に指定されている。

素材の銅は殺菌作用があり、熱伝導率が高く保温性にも優れている。そして銅器は、貴重な実用品として使われ、現在では美術工芸品としての価値も評価されている。