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徳島県桶樽職人 原田 啓司

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桶樽職人 
原田 啓司

Harada Keiji
1984年 徳島県生まれ

22歳の時、徳島県で桶樽を製造する会社の求人広告を目にし、直感的に見学を申し出た。

それがきっかけとなり桶樽職人の道を歩みはじめた。

2011年には製作した「おひつ」が「グッドデザイン賞」を受賞。

そして翌年、6年間の修行を経て晴れて独立。

司製樽つかさせいたる」を立ち上げた。

日本人にとって古くから馴染みの深い桶や樽。
木で作られた単純な器に見えるが、そこには用途に合わせた知恵や技術がある。

原田 啓司さん インタビュー
桶樽職人を目指そうと決めた理由は?

高校を卒業してから23歳までの間に「これだ」と思った仕事は全て挑戦しました。一般的な企業にも勤めましたし、バリスタ、たこ焼き屋、そして看護士を目指し看護学校へ通ったこともありました。しかし、どの仕事も一生続けられるかの確信がなく、自分自身を見直そうとバックパッカーでアジア各地を放浪する旅に出ました。その中で一層強く感じたのは「もっと日本を知りたい!」という想いでした。

帰国後しばらくして、たまたま友人の付き添いで職業安定所へ行ったのですが、そこで「桶樽製造」という募集広告を目にし、すごく興味を抱きました。すぐに見学に行くと、まるで体に電気が走ったような衝撃を受けました。

桶作りはいよいよ大詰め。
たがを締めていく。
たがは桶の形を支える重要なもの。

バラバラの木の板が1つにまとまり桶や樽になっていく。身近にある桶や樽はプラスチック製のものばかり。手仕事でしか出すことができない味のある美しさと最高の手触り。さらに、見事な手さばきで仕事をこなす職人さんの姿は、何かオーラが漂っているようにも見えました。「これだ!」と感じ、すぐに弟子入りを願い出ました。その職人さんこそ師匠の河野忠明さんなのです。

桶や樽はもともと「結物」と呼ばれ、平安時代(11世紀後半)にできたと聞きます。今自分は想像もできない長い年月をかけ磨かれてきた技術の最先端にいるのです。生活雑貨の桶や樽を再び人々に浸透させることに使命のようなものを感じています。この仕事に出会って人生の目標が定まりました。

原田 啓司さん
弟子
原田 啓司さん
師匠 河野 忠明さん
師匠
河野 忠明さん

将来の夢は?

120歳まで生きること!

桶や樽は3世代にわたって使えると言われています。しかし、長く使うためには「直し」が必要不可欠です。桶樽に関してはどんなことでも相談できる、皆さんに身近に感じてもらえる職人として、できるだけ永く生きたいと思っています。

もちろん、自分の後に続く職人を育てたいとも思っています。

うちの工房にいつか誰かが見学に来た時、かつて自分が師匠の河野さんを初めて見て抱いた想いと同じものを感じてもらえるような人間になりたと思います。

取材を終えて

取材中、桶や樽の周りに巻く「たが」は銅と竹の2種類あることに気付いた。聞けば用途によって使い分けており、特に味噌や醤油など塩分を含むものを入れると銅は酸化してしまうので適さないとのこと。

「たしかに銅は竹より頑丈で壊れにくいんですが、竹は塩分により凝縮し、締め付ける強度が年月をかけてより強度になっていくというすばらしい利点があるんですよ。先人たちの技と知恵は、何年何百年経っても最新なんです。」と、先人たちが培ってきた技術と知恵を誇らしげに語る若き職人の屈託のない笑顔には、天職に巡り合った人間の心からの嬉しさが浮かび上がっていた。