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京都府京象嵌師 中嶋 龍司

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京象嵌きょうぞうがん師 
中嶋 龍司

Nakajima Ryuji
1982年 京都府生まれ

伝統的な 京象嵌 きょうぞうがん の技法を守り続ける店「中嶋象嵌」に生まれ、2002年、祖父 中嶋 喜代一 きよかず 氏に弟子入り。2008年には若手職人の登竜門と言われる「京もの認定工芸師」の認定を受ける。

その後はニューヨークやパリなどで展示・販売会を行うなど実力を伸ばしてきた。

2012年、師匠である祖父 喜代一氏が他界、現在は母 優子氏が「中嶋象嵌」の社長に就任し経営を担当し、龍司氏が製造全般を担っている。

京都の西に位置する風光明媚な街、嵐山。

中嶋龍司さん
インタビュー

京象嵌師になろうと思ったきっかけは?

小学生の頃、毎日のように学校帰りに店に立ち寄って、祖父の仕事を見ていました。

後ろから見ることがほとんどでしたが、その姿に「職人さんやなー、カッコイイなぁ」と感じていました。高校を卒業するにあたっては、京象嵌製作に役立つとの思いから、大学の機械工学科に進学しましたが、実践的なことは教えてもらえなかったので「これなら少しでも早く祖父に弟子入りして直接技術を教えてもらおう」と自主退学し、祖父に弟子入りしました。

残念ながら祖父は2012年に他界しましたが、祖父の下で10年間学ぶことができました。

その時間は自分にとってかけがえのない時間です。今でも「祖父がいてくれたらなぁ」と思うことがあります。その時は、祖父が眠るお墓に行って話をします。もちろん一方的に話しかけるだけなのですがとても落ち着きます。

今でも祖父は側で見守ってくれていると信じています。祖父がやりたかったことを自分がやっていくことが、今の自分の夢であり、また祖父の供養にも繋がると思っています。

京象嵌は鉄の板に金や銀を打ち込み形作られている。

どんな作品を作っていきたいですか?

祖父は生前、「京象嵌の認知度の低さ」を嘆いていました。そのため修学旅行生などの京象嵌製作体験を積極的に行っていました。

祖父は「一度体験したことは絶対忘れない。だから若い人に体験してもらって皆に伝えてもらうんだ」と言っていました。
自分も、もっと京象嵌を知ってもらうため、新店舗には祖父の遺志を受け継ぎ、誰でも京象嵌作りを体験できるスペースを設けました。

そして、もっと色々な世代に知ってもらうためには、新しい商品の開発が必要だと考えています。新しいモノを生み出すのは大変ですが、世代に合わせた商品の開発を今後も続けていきます。

一度打ち込んだらやり直しができないため、慎重にバランスを見極め作業を進める。

母 優子さん(「中嶋象嵌」社長)
インタビュー

龍司さんはどんな職人ですか?

もし父(先代 喜代一氏)が生きていて、今の息子の仕事ぶりを見たら「まだアカンなぁ!もっと頑張れよ」と言うでしょうね。絶対に妥協をしない、自分に厳しい人でしたから。

自分自身の仕事に対しても「これでいい」と言ったことはありません。どんなに良い仕事をしても、もっと良くなるはずと考えますから、認めてもらうのは難しいと思いますね。(笑)

今、私が息子に言うのは「使う人の身になったモノ」、「使う人を高めてあげるモノ」を念頭において作ること。そして、父はずっと「日本一の象嵌師になるんや!」と申しておりましたので、それを目指して、より一層頑張ってもらいたいと思っています。

京象嵌師 中嶋 龍司さん
京象嵌師
中嶋 龍司さん
「中嶋象嵌」社長 中嶋 優子さん
「中嶋象嵌」社長
中嶋 優子さん

取材を終えて

今回の取材を通じて感じたのは、中嶋さんの「京象嵌を愛している」という熱い想い。

現在、中嶋象嵌の人気商品「透かしシリーズ」は、百貨店で実演販売を行っていた際、お客さんが何気なく発した「象嵌って、何か重そうに見えるわね…」という一言から生まれたとのこと。

どんな些細なことからでも「何か新しい作品に繋がるヒントはないか」と、常に追求し続ける中嶋さんの気概が垣間見えるエピソードです。

京象嵌

京象嵌きょうぞうがん

象嵌とは文字通り、金銀などの金属を「 かたど」、異なる金属に「 める」装飾技法で、かつては宗教的なものや武器などに施された。

象嵌技術は、紀元前に現在のシリア・アラブ共和国の首都ダマスカスで誕生し、シルクロードを経て約1400年前の飛鳥時代に仏教と共に日本へ伝わった。

現代においても、日用品やアクセサリー、装飾品など様々なものに「象嵌」が施されている。