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和泉蜻蛉玉いずみとんぼだま職人
松田 有綺

Matsuda Yuki
1994年 大阪府生まれ

和泉国いずみのくに(現在の大阪府堺市周辺)で奈良時代以前より製作されてきた蜻蛉玉とんぼだま(ガラス玉)の歴史、技法を継承した「和泉蜻蛉玉」の山月さんげつ工房に生まれる。

母の有利子さんは和泉蜻蛉玉の伝統工芸士であり、平等院の国宝復元に携わるなど、その技術を高く評価されている。

そんな偉大な母の下、二十歳のときに修行を開始。その傍ら、職人以外の世界も知ってほしいという母の方針もあり、看護師としても働く。忙しい日々の中、和泉蜻蛉玉を継承する唯一の工房の三代目となることを目指し、修練を積んでいる。

様々な色のガラスをおよそ1.5mmの太さにしてゆく。
これをさらに細かくし、大きさを選別。これが伝統的な「トンボ」模様となる。

粒を使い分けることで模様の表情を変える。

松田 有綺さん インタビュー
職人になって思うことは?

幼いころから工房に出入りしていたので、和泉蜻蛉玉には馴染みがありました。祖父や母が簡単に作る様子を見ていて、「簡単にできるだろう」くらいの気持ちだったのですが、いざ母の作業を手伝ったとき、夕方には手のひらの豆がつぶれていることに驚きました。どうして手のひらの豆がつぶれたのか不思議でしたが、それは同じ作業を繰り返し行う過程で、力加減がうまくいっていない証拠だと教えられました。

大きさ、形が揃ったものをいくつも作れてこそ職人です。それはとても難しく、まだまだ個体差があり修行が足りません。

今は看護師としても働きながら限られた作業時間の中で、技術の習得に励んでいます。和泉蜻蛉玉は小さなガラス玉ですが、その中に、いろいろな人の想いや歴史、技術などが詰まっていると思います。一つひとつが宝物のような存在です。母のような職人になって、その大切な宝物をいつまでも輝かせられるように頑張りたいと思います。

ガラスの柔らかさを見極め、芯棒に巻きつける。
きれいな丸になるように、穴が中心に来るように、模様が均一になるように気をつける。

師匠である母・有利子さんについて

幼いころから見てきた母の姿は、「お母さん」というよりも「職人」の姿でした。
技術はもちろんですが、和泉蜻蛉玉に対する想いや熱意がすごいです。

平等院の国宝の瓔珞ようらく(仏の荘厳具しょうごんぐ)を復元するという壮大なプロジェクトに挑んだ時、1000年前と同じガラスの成分、色、形を再現するのに苦戦していた姿を覚えています。職人として決して諦めることなく、何度も何度も作り直し、どうにか完成させました。

復元に挑む母の姿がカッコよく、その姿を見て、跡を継いで伝統を残したいという気持ちがさらに強くなりました。

投げ出したり、諦めたりするのは簡単です。伝統を繋ぐということは、技術だけでなく「絶対に繋げる」という強い意志が大切なんだと学ばせてもらいました。

松田 有綺さん
弟子
松田 有綺さん
師匠 母 松田 有利子さん
師匠 母
松田 有利子さん

師匠 母
松田 有利子さん インタビュー

伝統を受け継ぐことについて

和泉蜻蛉玉は、先代である父の代で伝統が途絶えてしまうという強い危機感がありました。そんな時、大阪府の伝統工芸品の指定制度を知り、指定を受けられるよう歴史を立証するため、文献や古文書を調べました。手がかりがなかなか見つからず、調査だけで8~9年を費やしました。その甲斐もあって大阪府知事指定伝統工芸品を受けることができました。改めて「和泉蜻蛉玉の歴史」を見直すことで、「伝統を継承する」という事の重さを再認識させられました。

それが、平等院の国宝復元という貴重な経験に繋がったのだと思います。1000年前にガラスを作った職人から伝統のバトンタッチしてもらった、そんな気持ちになりました。そのバトンを娘に渡し、次の100年、1000年、と繋いでいけるように、丁寧に作り続けていきたいと思います。

取材を終えて

有綺さんは、看護師としても働いています。職人、看護師、どちらか一つだけでも大変なのに、二つを両立させている。それは、並大抵のことではできません。

看護師の勤務を終え、工房にやってきた有綺さん。疲れなど見せずにガラスに向き合う。そんな姿を見ていると、大きな目標であるお母さんに追いつきたい、そのためにただ純粋に技術を習得したいのだと感じました。

伝統を継ぐということは、技術だけではなく、強い想いがあったからこそなのだと改めて感じさせてくれました。炎に照らされる有綺さんの真剣な眼差しは、蜻蛉玉のように輝いていました。

和泉蜻蛉玉

和泉蜻蛉玉

奈良時代以前に現在の大阪府堺市周辺、かつての和泉国だけで製作されてきたとんぼ玉(紐通し穴があるガラス玉)の歴史を正当に継承した技術・技法・材料で製作されたとんぼ玉のことで、1000年以上の歴史があると言われている。明治初期には製造技術が確立し、現在の継承者は、有綺さんの母である伝統工芸士・松田有利子氏ただ一人。

平成14年、大阪府知事指定の伝統工芸品に指定。

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