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木工芸 駒師
住谷 考蔵

Sumitani Kozo
1989年 大阪府出身

大阪府に生まれる。
高校に通っていた頃、実家にある将棋駒が大量生産品ではなく職人の手作りであることに気づいたことで、一気に将棋駒の世界にのめり込み、そこから独学で駒作りを始める。さらに、将棋駒の愛好家たちの活動にも参加し、名工の駒や仲間たちの作品から刺激を受けた。
その後、駒作りで身を立てるために京都伝統工芸大学校に進学し、木工芸を専攻。在学中に指物と漆の技術を学び、駒だけでなく、駒箱や脇息なども手掛けられるようになる。
卒業後は独立して工房を構え、木工芸の若きホープとして注目を集めている。

全ての駒に同じ色味や模様が入るように木片を選ぶ。
美しさの秘密は、木の個性を見極め木を活かすことに他ならない。

住谷 考蔵さん インタビュー
将棋駒に魅せられて

高校生の時に実家の将棋駒を見ていたら、一文字一文字の形が微妙に違うことに気づいたんです。職人さんが手彫りで作っていると知って「僕も作ってみよう」と思いました。
元々、子供の頃から工作が大好きで遊びで色々作っていたんですが、初めて本格的に一つのものを作りたいと思いました。
材料や道具のことはインターネットで調べて情報を集めていたんですけど、詳しい作り方が全然出てこなかったんです。そこで、将棋ブロガーや、研究家・愛好家の人にメールを送って作り方を教えてもらいながら、全くの独学で4、5組を作りました。

駒の彫り方はV字に彫る薬研彫り。
谷の位置を左や右に変えることで文字の強さや躍動感を出す。

「駒の会」との出会い

「駒の会」は将棋駒の愛好家の集まりなんですけど、そこではコレクターの人がコレクションを見せあったり、自分で作っている人たちが見せ合って、お互いに褒め合うんです。
会に自分の駒を持って行ったのは5作目ぐらいだったと思います。新参者でも温かく迎え入れてくれ、聞いたことを教えてくださるし、アドバイスもたくさんいただきました。
高校生だったので職人さんが作った駒は買えませんし、名工の作品が見れるのも駒の会しかなかったんです。そこでは面取りや文字の細かいところをひたすら観察していました。
皆さん人生の先輩方ですので、進路のことや将来のことも相談に乗ってくださり、本当にありがたいです。

谷の部分に漆を塗り込む。
谷に漆が溜まらないように、むらが出ないように、薄く塗り重ねていく。

木工芸の中の駒師

駒の会の会員さんから「駒だけじゃ食べていけないから、色々なものが作れる方がいいよ」ってアドバイスをもらいました。そこで、駒作りに活かせるように漆や彫刻を学んだり、駒箱や駒台も作れるように指物の技術を習得するために、京都工芸大学校に進学することにしました。
僕はアートのように「自由に作りなさい」と言われると何をどうすればいいか分からなくなるタイプなんですが、「将棋駒」という題材が決まっているので、彫りや材料などを突き詰めていく面白さがあります。
木工芸は「道具を作る仕事」です。将棋駒も「道具」なので、どちらも使う人に気持ちよく使っていただくことを大切にしています。

取材を終えて

仕事に誇りを持ち、仕事を愛する。取材を通じて、住谷さんからその強い想いが伝わってきた。
住谷さんの駒について、ひた向きに真っ直ぐに話をする様子、真摯にじっくりと考えながら選ぶ言葉の数々。それは如何に将棋の駒が素晴らしいものなのかを我々に伝えようとしていたかのようだ。
最もハッとさせられた言葉、それが〝自分にとって駒作りは天職〟。そこまで愛せるもの、人生を掛けてもいいと思えるものが自分にはあるのかを自問自答せずにはいられなかった。
住谷さんは駒作りでも木工芸の作品でも一向に手を抜かない。妥協せず、丁寧に一歩一歩進む。
「さらに大きな舞台で自分の作品を見てみたい」と語っていたが、その願いが叶うのは、そう遠い未来ではないだろう。

小代焼

将棋駒

将棋の伝来については諸説あるが、古代インドの「チャトランガ」というボードゲームが起源であるという説が最も有力となっている。
最も古い現存する駒は「天喜6年」(1058年)と書かれた木簡とともに奈良県興福寺から出土したもので、平安時代には既に五角形の木片に墨や漆で文字を書かれており、現在まで形はほとんど変わっていない。
戦国時代には水無瀬兼成が作る将棋駒(書き駒)が最高級品として知られた。
現在はプラスチックの駒やスタンプ駒、印刷駒などの普及品は工業的に生産されるが、中級品以上になると、手作りのものがほとんどで、駒師こましと呼ばれる専門職人の手作業によって工芸的に制作されている。

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