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#096

北海道刷毛引き本染め職人
吉田 健太

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刷毛引き本染め職人
吉田 健太

Yoshida Kenta
1986年 北海道生まれ

祖父が大工だったため、家にはさまざまな道具があり、それを使ってものづくりをすることが幼い頃から大好きだった。

そして、農家でのアルバイトなどを経て、父親の知り合いの建具店に就職。

そこでの働きぶりをたまたま目にした近藤染工場の5代目近藤 弘さんが、吉田さんの手先の器用さに将来性を感じ、染物の世界に導いた。

以来、近藤染工場で「糊置き」「刷毛染め」の技術を磨き10年、今も研鑽の日々を送っている。

北海道南西部にある漁港で進水式が行われた。
進水式を飾るのは「大漁旗」だ。

吉田 健太さん インタビュー
刷毛引き本染め職人になって良かったことは?

今の仕事の面白いところは、他の仕事をしていたら感じられないような体験ができることですね。100年以上続く伝統を自分が担っているという現実に感動していますし、自分たちが作ったものを町中で見かけることも多く、また、それに対する感想を聞く機会もあり、評価していただいた時などは、やっていて本当に良かったと思います。

自分にとってこの仕事は誇りであり、これからもどんどん発展させていきたいです。個人的には、自分の考え出したやり方やアイデアが技術として定着していったら最高ですね。「歴史に名を刻む」ではありませんが、ものづくりだけじゃなく、技を発明して残すことができたら嬉しいです。

「やれると思って取り組めば、大体のことはできる」というのが信条です。
「できる」というより「やる」くらいの感覚で何事にも挑戦していきたいです。

糊置きから染色、水洗まで、
初めて一人で担当することになった。

大漁旗製作の難しいところは?

自分は本来、形の決まったものを作ることが得意です。でも、この染物の仕事は、形が決まっていません。敢えて、形の決まっていない「染物」という苦手なことを、自分なりに楽しみながら挑戦していることが、自分にとって価値のあることだと思っています。特注の柄など、難しい仕事に取り組んでうまくできた時は、特にやりがいを感じますね。

丁寧に仕事に取り組むことが自分のモットーですが、これは長所であり短所でもあります。職人としては、数をこなすことも大事なので、こだわりすぎていると、いつまでも次にいけません。「素早く、丁寧に」が今後の僕の課題です。
職人として、求められていることをやるのは当然。その上を目指していくのが一人前だと思っていますので、まずはどんな工程を任されても一通りこなせるようになりたいですね。

今は、品質を維持するので精一杯ですが、「手仕事だから出せる素晴らしさ」を目指し、仕事に取り組んでいきたいです。

吉田 健太さん
刷毛引き本染め職人
吉田 健太さん
近藤 弘さん
近藤染工場 社長
近藤 弘さん

近藤染工場 社長
近藤 弘さん
インタビュー

吉田さんの印象は?

一言で言うなら、まじめですね。彼の良いところは仕事に対する意欲と情熱。職人として非常に優秀です。自分なりに、色々と工夫をこらして仕事をしてくれるのがありがたいですね。

もともと木工関係にいたので、仕事で使うちょっとした道具を作るのにも長けています。手先が器用なので、家具とかもすぐ作ってくれるんですよ。どんな分野のどんな職場でも通用する人間だと思います。

この仕事と決めたからにはぜひ続けていってほしいですね。続ける以上は、いい加減な仕事、間に合わせの仕事を出してはいけません。今、染物業界ではだんだん印刷や機械でやることが多くなってきています。それは残念だなと思って、私は初代の気持ちを継いで「本物を出そう。手で染めたものを出そう」このスタイルにこだわってきました。

そういう気持ちを常に心に秘めて、修業に取り組んでほしいです。一生勉強ですね。

取材を終えて

吉田さんは、いつでも「ここで自分にしかできないことは何か?」、「みんなが喜んでくれるには?」という考えを持って仕事に臨んでいました。粘り気が強い糊をかき混ぜるしゃもじに取っ手を付けたり、捨てるだけの一斗缶をスコップに作り変えたり。

取材中、吉田さんが、会社で余った丸太を持ち帰って作った「あるもの」の写真を見せてくれました。それは何とブランコ。あまりの本格的な出来栄えにビックリです。公園で見かけるサイズで作ったとのこと。

そしてそれは今、ご自宅に庭に置かれ、取材中に誕生したご長男が使ってくれる日を待っています。
吉田さん、おめでとうございます!

大変な中、快く取材を受けてくださったこと、スタッフ一同心から感謝いたします。

大漁旗

大漁旗たいりょうばた

現在のような大漁旗が作られるようになったのは昭和30年代と言われ、それまでは、沖から漁の成果を港に伝えるため、単色の旗が用いられていた。

そして無線の進歩により、その役目は終わってしまう。

しかし、正月や祭などで船を彩る装飾品として使われるようになり、より派手で豪華なものが望まれるようなり、そこで、大漁の祝いで網元が漁師に贈った「萬祝まいわい」と呼ばれる祝い着に描かれた縁起物の図柄を参考にして、現在の形になったと言われている。

大漁を願う気持ち、航海の安全を祈る思い、そんな人々の願いが大漁旗には込められている。