Tanaka Eisaku
1984年 岐阜県出身
白川郷にある伝統的な合掌造りの家で生まれ育ち、幼い頃から茅葺屋根に慣れ親しむ。
21歳の時、茅葺屋根の葺き替えを体験したことで、その難しさに大きなやりがいを感じ、茅葺職人の道を歩むことを決意。
白川郷の茅葺屋根の修復を一手に担う和田茂さんに師事し、以来、技術の修得に励んでいる。
21歳のときに茅葺屋根の葺き替え職人の道へと進みました。
この仕事に出会ったのは、4年勤めた土木関係の会社をやめ、自分の進む道を決めあぐねていた時期だったんです。その頃に、知り合いから「白川郷かや屋根技術舎」を紹介され、はじめはアルバイトとして茅葺屋根の葺き替えをしていました。すぐに、この仕事の奥深さに魅了されましたね。2週間ほど続けた時点で「社員として働いてみないか」とお声をかけて頂いて、そのまま正式に社員として働いています。
実家が茅葺屋根の合掌造りの家だったので、自分にとっては世界遺産というより、当たり前の存在です。幼い頃から慣れ親しんだものだからこそ、自分達の手で守っていくということに誇りを感じています。
働き始めた当初は本当にもう右も左もわからない、暗中模索の状態でした。今では考えられないですが、縄の縛り方ひとつわからないところから始めたんです。
今では、一通りの作業工程はできるようになりました。しかし、自分の作業したところが、しっかり葺かれているかどうかは、30年くらい経ってみて初めて分かることです。ですから、ちゃんとできているかどうかは、まだ何ともいえないと思っています。
最も難しい作業工程は「屋根の端の葺き替え」です。切妻屋根の妻側から内側へ向かう角の部分の葺き替えなのですが、扇のように茅の向きを変え、横から縦に戻す技術が必要です。
うまく葺かないと屋根に穴があいてしまうこともあって、技術の差が出やすいポイントです。だからこそ、その「屋根の端の葺き替え」がうまくできた時が、仕事をやっていて一番うれしい瞬間ですね。
自分の葺いた場所が、ちゃんと30年後まで持っているかを確認するのが、今の目標であり楽しみですね。
一棟を葺き替えるには、4トントラック約25台分の茅を使い、200人ほどの村人の力を借ります。昔は1日で終わったのですが、今は人手不足等が原因で3日間ほどかかるようになりました。だから、後継者である田中くんの存在はとても貴重なんです。
自分も、田中くんと同じようにこの村で生まれました。白川郷にある茅葺屋根の修復を一手に担い、職人たちをまとめています。技術が必要な仕事なのですが、特に大変なのはそれを若い人に教えて伝承していくこと。
田中くんはだいぶうまくなってきたと思います。だけど、葺き方にはまだまだ様々なバリエーションがあるんです。勉強してもらって、より頼もしくなってもらいたいですね。他にもいる数人の若い人間を、引っ張っていく存在になってもらいたいです。
「世界遺産 白川郷」 高尚な響きに高揚と緊張感をもって訪れたその地は、期待を裏切らない幻想的な場所でした。
けれどそこに暮らす人々は、いい意味で〝普通〟。世界遺産だからといって驕ることはなく、茅葺屋根の修復という立派な仕事を「自分の村を守るという当たり前のことをしているだけ」と笑います。
休みの日には子どもを連れて小松空港に飛行機を見に行く、と目尻を下げて話し、よき父親の面ものぞかせた田中さん。長男・希羅くんも父親と同じ道に進んでくれたら…との期待を胸に、村を後にしました。
茅葺屋根は、木材で組んだ骨組の上に葦簀を引き、これを下地に茅を下から上へと葺き上げ作られている。茅の表面は風雨にさらされると腐りやすいため、切口だけが屋根の表に出るように葺かれている。
白川郷にみられる、屋根が二方向のみの「切妻造り」の茅葺屋根は、高度な技術を要するため珍しい。