Mori Hideaki
1983年 愛知県生まれ
100年以上続く、つげ櫛の老舗「櫛留商店」の三男として生まれる。
兄二人が家業を継ぐことなく独立する中、つげ櫛の素晴らしさに気付き、その伝統と技術を守るべく、つげ櫛職人になることを決意。
大学卒業後、父である櫛留商店三代目の森 信吾さんに弟子入り。代々伝わる匠の技を継承すべく、研鑽の日々を送っている。
二人の兄が家業を継ぐことなく独立していく姿を見ていて思ったんです。
自分がやらなければ、この店は途絶えてしまう。
櫛留の初代、二代目、三代目が守り続けてきた店なので「もったいない」、そう感じるようなったことがきっかけですね。
この頃、大学生でしたが、櫛留の櫛を使うお客さんの反応を見て、「やっぱりすごい」と、改めてその素晴らしさを実感したんです。
それで大学卒業と同時に三代目に弟子入りを志願しました。
小さい頃から父の仕事を見ていたので「少しはできるんじゃないか」、という考えがあったんですけど、実際にやってみると、決して甘くはなかったですね。
あまりにもできなくて、「自分には櫛を作れないんじゃないか、櫛留商店を継ぐなんてできないんじゃないか」と思った時期もありました。
でも今は、「やればやった分だけ自分のモノになる」、というのが実感できますので、一つひとつの仕事を丁寧にやっていこう。そういう気持ちで臨んでいます。
息子が三人いますが、私から「跡を継いでほしい、櫛屋をやってくれ」と言ったことは一度もないですね。自分がずっと苦しい思いをしてきましたから、そんな思いを息子たちにはさせたくない、そんな気持ちがありました。
普通の勤め人になったほうがずっと楽だろうな、という実感を持っていたからです。
でも今は、こうして跡を継ごうとしてくれているので、一人前になれるようしっかり精進してほしいと思います。
櫛は上辺だけの見た感じではなく、実際梳いた時、心地よく梳けるかどうか、それに尽きます。
使っていただく方への思いを込めて、歯の間を何千回と地を通わせて磨く。決してそのことを忘れないでほしいですね。
作業場には会話はなく、ただ櫛にすべての思いを集中させ磨く、心地よいリズムが刻まれています。
英明さんが仕上がりの確認を師匠にお願いすると、師匠は何も言わず手直しを始めました。
およそ7分間の張りつめた時間。手直しが終わると、英明さんに手渡されました。
ここでも何の説明もありません。英明さんはその櫛を隅から隅まで確認し、納得と反省の表情を浮かべました。
そして再び磨き始めました。丁寧に丹念に、歯一本一本に思いを込めるように。
師匠が英明さんに伝えたいのは、言葉や技術を超えた、櫛へと向き合う心なのかもしれません。
つげ櫛は「万葉集」や「源氏物語」にも記述がある柘植の木を原料とする伝統ある櫛。
堅いにもかかわらず、粘り気や弾力性があるため、丈夫で歯が折れにくい。また静電気が起きにくいため髪を傷めず、さらに頭皮に心地よい刺激を与える。こうしたことから、櫛の最上級品として古くからその地位を築いている。特に、国産のつげを使い優秀な職人の手により丁寧に作られたつげ櫛は、使い込むほどに、見た目が艶のある美しい飴色に変わり、櫛どおりもより滑らかになる。高価ではあるが、〝一生もの〟と評されるほど丈夫で使いやすいため、親から子へと代々受け継がれることも多いという。
近年、プラスチック製品のシェア拡大と後継者不足から、つげ櫛職人は年々減少し、さらにその中でも、すべての工程を手作業で行っている職人はわずか数軒となっている。