Sakakura Masahiro
1983年 山口県生まれ
深川の地で約360年の歴史を育んできた萩焼深川窯の宗家「坂倉家」の後継者。
芸術大学・大学院で彫刻を学び、その後、京都市伝統産業技術者研修で2年間、陶芸の技術を学んだ。
2011年、父である十五代 坂倉 新兵衛の下、作陶に入り、萩焼の未来を切り開こうと日々技術の向上に励んでいる。
保育園のときの文集には、意味もわからず「将来の夢は陶芸家」と書いていました。この仕事を小さい頃から間近で見ていて「すごく面白い素敵な仕事だな」と思っていたんです。だから、何かきっかけがあって萩焼の世界を目指したというよりは、自然とこの道を目指してきたという感じですね。
父はまじめで実直、あまり多くを語る人間ではありません。ですが、一緒に仕事をしているだけで「窯に真剣に向かい続けてきた時間の長さ」を肌身で感じるんです。土作りから始まり、窯に入って完成するまで、コツコツと手を抜かずに淡々と作っているんだと思います。一つひとつの作品が面白い作行きを持っていて、その感覚はまだまだ全然真似できないですね。
父が作るような、本当の意味でいい茶碗を自分の手で作り出すことが、いつかできるようになりたいです。
自分が土に対して行ったことが、ダイレクトに反映されて作品に現れてくるところが面白いです。使い方によって柔らかい印象にもなるし、少し荒々しくもできます。茶碗一点一点、どれも雰囲気も色味も違います。その中で共通して、強い素材感を持たせられるように作っています。土と自分との関係性によって、萩の土の持つ存在感を演出できるというところに魅力を感じますね。
萩焼はもともと「茶道の器を作るため」の焼物です。萩焼の土の持つ魅力がお茶に適していて、古くから数々の茶人に使っていただいています。派手な道具ではないけれど、抹茶や花を活かすことができる焼物だと思います。
歴史あるものを作っていることに関して、やりがいも感じています。歴史も技法も素材も、代々続いてきた中に自分が立っているんだと思うと、責任も感じますね。
今は少しずつ、自分なりのものを作っていけているという手応えを感じています。
360年の間ずっと続いてきて、今なお自分が受け継いでいるというのは感慨深いですね。
「伝統」って難しい言葉だと思うんです。上の世代から教わったことをそのままやるのは「伝統」じゃなくて「伝承」。それぞれの世代が、先代から受け継いだものに、何かクリエイティブなものをつけ加えて、後の世代に引き継ぐ。これではじめて「伝統」と言えるのだと思います。だから私も、自分なりの世界を作りたいし、それをまた次の世代に繋げていきたいです。
正紘が美大に進学した時点で、いつかは継ぐのだろうとは思っていました。本人が自分から興味をもって取り組まなければ跡を継ぐことなんてできませんから、私から継ぐように言ったことはありません。
自分は若いうちに自由な時間があまりなかったので、一度思い切ったチャレンジをするのもいいと思います。萩と全く関係のないものを作ってみたりすることで、将来的にはかえってよい肥やしになるかもしれません。
数日間に及んだ撮影の思い出にしてくださいと、窯焚きでできたばかりの茶碗で抹茶をいただきました。
その茶碗を手にした時、すっと手になじむ感覚、同時に土の優しさが伝わりました。
器から伝わる作り手の人柄、お茶を振る舞うもてなしの気持ち、言葉はなくても茶碗を通じて伝わるものだと実感しました。
坂倉さんの優しい人柄、土に対する愛情…、そんな作り手だからこそ、優しい器ができるはずです。
16世紀末の朝鮮出兵の際に、毛利輝元が朝鮮半島から召致した陶工が、萩市で毛利家の御用窯として開いたことに始まる。すぐれた茶陶を称する表現として「一樂二萩三唐津」と謳われるように、茶人をはじめ多くの人に愛された。現在の萩焼の陶芸家たちは、多彩な活動を展開し、人間国宝や前衛作家等を輩出している。 その手触りの良さ、ざんぐりした土の味わい、装飾の素朴さに特徴がある。
最近では釉薬や焼成技術の進歩、またデザインの多様性が求められることから、茶道具をはじめ、日常食器や様々なデザインのものが作られるようになっている。