
Ogawa Kyosuke
1984年 京都府生まれ
主に裏千家の茶庭「露地」の作庭・管理を手がける京都の庭師の老舗「植熊」。
父は5代目小河 正行。幼い頃、父の仕事は「きつい、きたない」と感じていたため庭師にはならないと決めていた。高校生になり父の仕事を手伝った際、庭師の仕事の面白さ、奥深さに気づかされ決心が大きく揺らぎ、一転、庭師を志す。
高校卒業後の5年間は長野県の庭師の元で修業を積み、その後、「植熊」で修業の道へ。親子関係を捨て師弟の関係に。偉大なる父の元で茶庭「露地」の伝統技術習得に励む。
小さい頃に抱いていた庭師のイメージは「外仕事で、しんどそう」というのが正直なところでした。しかし、高校生の時、この道に進もうと決心したんです。心のどこかでは「大変そうだけれど、やってみたい」という気持ちがあったんだと思います。
庭師になるため長野県に修業に行ったことで、京都の良さを客観的に見ることができたのは大きかったです。京都には、伝統の技術がまだまだ残っています。お茶の人口も多く、先人達が大切に残してきてくださった庭が沢山あることは誇りにさえ感じますね。
長野での修業中、怪我をしてしまったのですが「父である親方と仕事をしたい」という気持ちの灯火は消えませんでした。
精一杯出来る限りのことをさせていただいたと思っています。今回は石積みの待合だったり、景石を覗き石にしたり、新しいことに挑戦させていただきました。ですから、私にとってはものすごく勉強になった思い入れのある庭です。
しかし、ここからが始まりとも言えます。庭の「完成」は「終わり」ではありません。今から成長していくものです。長い間施主さんに喜んでいただけるような庭になってほしいと思います。
そして、施主さんから「庭が宝物になった」という言葉をいただいたときは感無量でした。これ以上ない喜びで、こういう瞬間があるからこそ、この仕事をやってきてよかったと思えます。
これからも施主さんがお茶事をずっとやり続けていただける、愛着をもって手入れしていただける、そんな庭になってほしいです。
茶の湯の庭は「露地」と呼ばれています。露地に足を一歩踏み入れる時には、露地草履に履き替えます。これを履いていくことは「浮世とは切り離した世界がこの露地にはある」という意味になります。清浄な場所であり別世界。自然や打水を見ながら自分の心の塵を洗い流します。
茶の湯を大成させた千利休は「露地はただ浮世の外の道なるに心の塵をなど散らすらむ」と詠んでいます。塵とはつまり「あれがほしい」「ああなりたい」という欲ですね。露地を歩いていくなかで、自分の欲を無にすることが大事です。その一番象徴的なの場所が「塵穴」です。塵を捨てて、茶席に入りなさいという意味を持っています。
露地にはそれぞれの場所にそれぞれの意味があります。全部を理解するのは難しいけれど、少しでもわかれば面白くなります。庭師にとって露地は作れば作るほど難しい奥深いものですね。
現在ではとても貴重な露地の作庭を一から取材させてもらいました。
石一つ、竹一本、樹木一本、ただ置くのではなく、ただ編むのではなく、ただ植えるわけではない。すべてに意味があります。だからこそ一つひとつの工程が丁寧で、決して妥協がない。京介さんの真剣な眼差し、流れる汗、露地づくりは物凄いエネルギーが必要だと痛感しました。
撮影の最後に京介さんが言った「愛される露地をつくりたい」という強い想い。
完成した露地を見るたびに嬉しそうに笑顔を浮かべる施主の川邊さんを見て、この露地は、これからずっと愛されていくだろう、そう確信しました。
茶事を行うための茶室へいざなう神聖な庭。飛石が打たれ、腰掛待合、中門、蹲踞などがしつらえられている。
鑑賞美よりも実用美を重んじており、茶席で亭主が四季折々のもてなしをするため、露地は四季を感じさせないようになっている。
「市中山居」とも言われ、街中にいながら山里の風景、都会の喧騒を離れ、自然の中のようなゆったりした時が流れる。簡素で素朴、侘びの雰囲気を感じられる。