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八女やめ提灯ちょうちん職人
伊藤 博紀

Ito Hiroki
1990年 福岡県生まれ

福岡県八女市にある、文化十二年(1812年)創業の「伊藤権次郎商店」に生まれる。
幼い頃から周りには職人がいて常に道具や提灯に触れてきた為、小学生の頃には提灯屋になると決意。

大学でマーケティングを学び、それを活かした仕事に3年ほど就いた後、実家へ戻り職人として本格的に提灯製作を始める。
伝統を守りながらも、新たな取り組みに挑戦し「伊藤権次郎商店」8代目を継ぐべく、日々研鑽を積んでいる。

伊藤 博紀さん インタビュー
伝統工芸に対する思いは?

伝統工芸と言うのは流行を作らないものだと思うんですよ。流行を作ってしまうとその先に〝廃れ〟というのが見えると思います。

僕が就職した会社は、常に最先端を求めるお客様で溢れていて、常に流行を考えなければならない状況で正反対でした。でも、そのおかげで両方の良い点が分かったように思います。
良い部分を合わせれば、伝統という世界で新しい可能性があるのかなと感じています。

継ごうと思ったきっかけは?

幼い頃から周りには職人さんがいて、祖父に可愛がってもらい常に道具や提灯に触れていたので、小学生の時には提灯屋になると決めていました。その環境が当たり前と思っていましたが、大きくなるにつれ特殊な家系なのだと気がつきました。
大学卒業後、単純に継いでしまうのは面白く無いと思い一般企業に就職しましたが、実家の若手の方たちが台頭していく中で、羨ましいな、僕だったらこうやるのにとの思いが強くなり、それがきっかけで地元に戻り提灯の製作を学び始めました。

これからの夢は?

提灯は日本を演出するものだと思っていますので、演出・装飾という部分で神社やお寺、お祭り以外で何か空間を表現できたらいいなと思っています。

最近ですと、提灯の形を変えて勝負されているところが多いですが、僕は今の提灯の形が一番綺麗だと思っていますし、それこそ一番響くのかなと思っています。
提灯の形を大事にしつつ、素材やそれに映えるデザインというものを変えて新しいものを作りたいです。
地元に愛される提灯屋でありながら、日本だけではなく海外の人たちにもっと日本の文化を知っていただきたいです。

取材を終えて

提灯職人を継ぐ前は最先端のファッションビルで働き、自らのスタイルにこだわってきた博紀さん。そんな彼がなぜ江戸時代から続く実家の、一見古めかしい提灯を作り始めたのか。
取材で浮かび上がってきたのは、彼のポリシーと何一つ紛うことのない思いでした。

伝統の和紙と竹ひごを使い妖怪を描いた提灯を作る。数百年もの歴史を持つ神社の新しい提灯をデザインする。
一見古めかしい提灯作り、それは何の矛盾もなく彼がいま「逆に格好良い」と思える最先端の姿だったのです。伝統だからといって古めかしくはない。むしろ良いモノだからこそ格好良いまま作っていきたいという想い。

有名な祭から居酒屋の店先まで日本の灯りとして欠かせない提灯。
これからもそうと気づかぬまま彼の提灯を日本の風景の一部として見ていくのだろう…そう思うとどこか心が躍る気分を覚えた取材でした。

珠洲焼

八女提灯

19世紀初め素朴で簡単な絵を描いて作られた提灯が八女提灯の始まりとされている。福岡県八女市の清涼な水に恵まれた土地柄から提灯の原料となる和紙作りの文化が生まれたことにより、主に盆提灯として多く製作されてきた。
細く裂いた竹を薄い和紙で一本に繋ぎ、骨を螺旋状に巻く一条螺旋式と呼ばれる技法が特徴とされ細く美しい曲線美が表されている。
平成13年7月に日本の伝統的工芸品に指定された。

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