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木具師
橋村 晋太朗

Hashimura Shintaro
1985年 京都府生まれ

「木具師」として千年来の技を伝え残す職人である橋村萬象家の長男として生まれる。 「家業を継いでほしい」と言われたことはなかったが、幼い頃から「自分が跡を継ぐものだ」と思っていたため、高校を卒業した後、自らの意思で父である三代目橋村萬象に入門した。
一人前になるには30年の時間を要するとも言われる木具師の技術。橋村家の名に恥じぬ技術を継承すべく、日々木具師の修業に励んでいる。

銘々皿を作る作業。曲げの工程では「湯曲げ」で熱を加えて木の繊維を柔らかくし、ホタという道具で曲げていく。
この時、木の厚みを整える工程での削り方が悪いといくら熱を加えてもうまく曲がらない。
うまく曲がるかは削りの段階で決まっている。

橋村 晋太朗さん インタビュー
憧れの木具師になって

木がすごい好きなんです。木目や木肌の美しさ、香りも好きです。木を使って仕事ができる喜びを感じています。 木は長い時間をかけ成長します。年輪1本1本が1年です。年輪が250本あれば250年以上の時間が育てたもの。だからこそ少しも無駄にはできません。木にはそれぞれ個性があり、一つとして同じものはありません。木目や木肌の色、堅さなどの個性を見抜き、対話をしながら、その魅力を引き出すことが大切です。知れば知るほど奥深さが分かり、木具を作れば作るほど、もっともっと木が好きになっていきます。木具師の仕事は木の命をいただく仕事であるということを肝に銘じ、自分の技を磨き、木の魅力を最大限に生かすことが素材(木)への恩返しだと思っています。

底が入った銘々皿に筋を入れ小刀で削る。次第に花びらのような形になり華やかさをまっとた。
木賊や椋の葉で磨き、手に取った時の滑らかさやぬくもりを木具の道具として大切にしている。

師匠
橋村 萬象さんインタビュー

物を通じて縁が結ばれる

木具の清々しさと神々しさは、木の命によって生み出されるものだと思います。
木具は「清浄」を重んじられ、かつては白装束で制作していました。「清浄な美しさ」というものを常に意識しています。
そして、木具は茶の湯の世界において大切な道具の一つとされています。
茶席で亭主と客が道具を通じて心を通わせ、物を通じて様々な人との縁が結ばれます。
物が人を繋いで、人が物を繋ぐ。物はいずれなくなりますが、人を残すことで、また物を生み出すことができ、それがまた縁を結びます。そうやって私たちは代々繋いできたのではないかと思っています。
晋太朗には技術だけではなく、人とのご縁や想いも一緒に繋いでいってもらいたいと思っています。

橋村 晋太朗さん
木具師
橋村 晋太朗さん
八木 隆裕さん
叔父
橋村 佳明さん
八木 聖二さん
師匠
橋村 萬象さん

叔父
橋村 佳明さんインタビュー

自分が作りたいものを作るのではない

年輪を見ると、どれだけの時間とどれだけの人が携わり、管理をし、大切に育てられてきたのかが分かります。今、こうして私たちが貴重な木を使わせていただけることに感謝しかありません。
木具師は、自分たちが作りたいものを作るのではなく、お客様が欲しいもの、使いやすいもの、喜んでいただけるものを作ることだと思っています。木を削る時、曲げる時、常にどうしたら満足していただけるのかを考えています。
すぐに技術が身に付く仕事ではありません。毎日の積み重ねと、木を大切に思う気持ちこそが良い作品になると思っています。
甥の晋太朗には木への感謝の気持ちを常に持ち続けて欲しいですね。

取材を終えて

朝、工房を訪ねると、晋太朗さんはすでに掃除に汗を流していました。
木具には清浄が重んじられるため、身を引き締めてから鉋や小刀などの刃物を握ると教えてくれました。
そして、いざ木具作りが始まると、まさに木との真剣勝負です。
木は正直で職人の姿勢がそのまま形として表れ、一切ごまかしはきかないそうです。
一つひとつに気持ちを込めて、木に対して妥協のない作品からは、晋太朗さんの人柄のように年輪の温もりを感じることができました。

木具

木具師

橋村家は平安遷都の時、皇室と共に京都に移住。以後、橋村又左衛門の名で名字帯刀を許され、数十代にわたり「有職御木具師」として幕末まで皇室の御用を賜った。 東京遷都以後は、公家の御用を賜りながら「茶器木具師」として茶道具を作り始める。

樹齢250年以上の秋田杉・吉野杉・尾州檜の希少な木材を用いて、繊細で熟練した仕事による美しい白木の木目(柾目)と格調高く凛とした佇まいの曲物を制作している。

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