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大堀相馬焼 ろくろ職人
吉田 直弘

Yoshida Naohiro
1996年 兵庫県生まれ

京都の大学で陶芸を学ぶ。在学中、「大堀相馬焼」の窯元で1週間のインターン募集があり、2017年に初めて東北へ。それがきっかけとなり、卒業後、大堀相馬焼を学ぶため地域おこし協力隊に応募し移住する。
大堀相馬焼の窯元、いかりや商店や松永窯での三年間の修行を経て、2021年4月より独立を果たす。
「大堀相馬焼の技術を受け継ぎ、絶やさない」その想いを胸に、窯元を目指し、日々仕事に励んでいる。

大堀相馬焼の代名詞とも言えるのが二重焼。
中でも難しいのが、微妙な大きさの間隔で内側と外側の器を二重構造にすること。
「とんぼ」で器の直径と深さを測って同じ大きさの器を大量に作る。それが一人前のろくろ職人の証でもある。

吉田 直弘さん インタビュー
大堀相馬焼と出会ったのはいつ?

大学三年生の時に、大堀相馬焼の窯元さんがインターンシップの説明でいらっしゃった際に、初めて大堀相馬焼というものを見ました。実物を初めて手にした時は、「こんな作りの焼き物があるんだ」と二重構造に衝撃を受けました。そして実際に作っているところも見せていただいて「これはすごいな」と。よく「相馬焼は渋い」って言われるんですけど、時代に流されずデザインを変えたりしない部分も好きなんです。10代や20代の人たち、若い世代の人には、この昔からずっと変わらないデザインを見て「レトロな雰囲気」を感じ取ってもらえたらいいな、と思います。

地域おこし協力隊での研修について

主にいかりや商店と松永窯で研修させていただきました。いかりや商店ではろくろをはじめ作業全般、松永窯では焼き物の販売や流通について教えていただきました。ろくろ作業は山田さんにたくさん教えてもらったのですが、山田さんは常に使う人の立場で焼き物を作っていらっしゃるので、山田さんの元で修行できたのはとても良かったです。ろくろ以外にも釉薬の調合も教えてくださり、絵付けも今少しずつですが勉強中です。山田さんはとても優しい方ですけど、指摘する時は厳しく、真剣に指導してくださる方です。

外側の器に花抜きをする。
これは浜辺で飛んでいる千鳥をデザインするとともに、釜焼の際に破裂を防ぐ空気穴にもなっている。
その後、内側と外側の器を重ね合わせ、飲み口を整えれば完成となる。

職人になることを決心した瞬間は?

研修期間が終わる頃、大堀相馬焼の販売会に参加しました。その際、大堀相馬焼が好きなお客さんが「応援しているから頑張ってね」と言ってくれた時です。手作りの作品と言っても量産品なので、相馬焼の職人は安定したクオリティでたくさん作ることを求められるのですが、三年間の修行期間で僕はぜんぜん数を作ることができませんでした。「このまま独立してやっていけるのか…」という不安があったんですけど、「応援してくれるお客さんがいるなら悩んでいられない」と思いました。今はまだまだ下積みなので、辛いことがあってもある程度の我慢は必要だと思っています。「食べていけないからやめる」「辛いからやめる」は、応援してくれている人にも失礼だと思って決心しました。
窯元さんも本当に優しくて、何から何まで面倒見てくれたので、独立して恩返しができるようになりたいですね。将来的には相馬焼の職人さんがいなくならないようにしていくことが一番大事だと思っています。

山田 慎一さん
窯元
山田 慎一さん
吉田 直弘さん
ろくろ職人
吉田 直弘さん

大堀相馬焼 いかりや商店 13代窯元
山田 慎一さんインタビュー

吉田くんは大学卒業したてで関西から東北に来て、三年で独立させることができるか不安でした。でも彼は仕事にとても真面目に取り組む子だったんですね。定時より早めに来て支度をして、私の帰りが遅くなる時も最後まで一緒に残って作業をするような子だったので、「これだったら何とか三年でできるかな」と思いました。彼の真面目さがあって独立できたので、本当に良かったと思います。

相馬焼は分業制なので、自分の仕事の出来が次の工程を行う職人の仕事を左右します。吉田くんは作り(ろくろ)をやっていますが、表面を滑らかに、そして綺麗に作らないと次の絵師の人が描きづらくなりますから「職人さん同士の信頼関係作りも大事だよ」と教えました。
また、自分は父から「数ではなく、間違いのないものを作りなさい」と教えられてきましたので、彼にも「独りよがりなものではなく、お客さんのことを考えて作るように」と教えてきました。
以前の大堀相馬焼では外部からの弟子を受け入れない風潮もありましたが、今は後継者も不足しています。外部からであろうと吉田くんのように熱意を持って志願してくれて、真面目にやってくれる人であれば十分「大堀相馬焼」を継がせることはできると思っています。

取材を終えて

伝統を守り、人を守る。
なぜこの若者はわざわざ故郷から遠く離れた地で陶芸の窯元を決意したのか?
その理由が取材前にはまるで分からなかった。しかし、取材を進める中で様々な人とお会いし、吉田さんが決意した理由が見えてきた。
彼は大堀相馬焼を好きになったと同時に、携わる人々を好きになったのだ。 彼らを守りたいと思ったのだ。
しかしそれだけではない。吉田さんの仕事は〝繊細〟だ。 彼にろくろ作業を依頼する窯元は口を揃えて彼の仕事ぶりを評価する。 それを支えている、あるものを見せてもらった。 使い込まれた、吉田さんお手製の寸法帳。 各焼き物のイラストと、その寸法を細かく測定して書き込んでいる。
伝統を守ることができるのは、決意もさることながらこういう事ができる人かもしれない。
大堀相馬焼に携わる人を守り、300年の伝統を守る。 吉田さんならきっとできるに違いない。

大堀相馬焼

大堀相馬焼

大堀相馬焼は、福島県浪江町の大堀地区で生産される焼物の総称で、江戸時代から300年以上の歴史を有している。旧藩政時代には相馬焼と呼んでいたが、国の伝統的工芸品指定以後は、産地名である「大堀」の名を冠した大堀相馬焼として広く知られている。
東北の厳しい寒さの中で生まれた、保温性に優れた「二重焼ふたえやき」は大堀相馬焼の代名詞となった。 2011 年 3 月の東日本大震災では浪江町全体が避難区域となり、窯元たちも避難を余儀なくされた。当時22軒あった窯元は現在14軒にまで減ってしまったが、窯元たちはその苦労を乗り越え、県内各地で大堀相馬焼の製作を続けている。

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