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壱岐鬼凧職人
斉藤 あゆみ

Saito Ayumi
1992年 長崎県生まれ

壱岐鬼凧職人である平尾明丈の孫として生まれる。
両親が共働きであったため、工房でもある祖父母の家で過ごすことが多かった。
そのため幼少期から鬼凧に触れ、遊びの延長線上に鬼凧作りがあった。
高校を卒業した後は福岡県で働き始めるが、島で唯一の職人であった祖父が怪我をしたと聞き「このままでは鬼凧の伝統が失われてしまう」と、島に戻ることを決意し、祖父から凧作りを教わった。
そして祖父が他界した今も、祖母と二人、二人三脚で島の伝統を後世に繋ぎ続けている。

均等な太さに削った竹で鬼凧の骨組みのパーツを作り、左右対称に組み合わせ糸を巻いていく。
凧をまっすぐに揚げるため、バランスの調整は欠かせない。

斉藤 あゆみさん インタビュー
島で唯一の職人

子供の頃はまだ島内には何人か職人がいたんですが、私が島を出る頃にはもう、おじいちゃんとおばあちゃんだけになっていました。
福岡から里帰りする時、港のお土産屋さんに並んでる凧を見て、ふと「これが全部なくなっちゃうかもしれないんだ」って思ったんです。
継ぐことを最初は悩みました。だからはじめは「手伝い」ということで工房に入りました。
「たった一人の職人」と言われるプレッシャーはありますが、もっと鬼凧を知ってもらえれば興味を持つ人は増えると思いますので、SNSなどもうまく使って広めていきたいですね。

下書きをして墨を入れ、絵付けをする。
色は祖父が試行錯誤を重ねて決めたという食紅。和紙との相性が良くムラができにくい。

鬼凧職人をめざして

最初は家族に胸を張って「職人になる」とは言えなかったんです。おじいちゃんが怪我をしてすぐの頃は、福岡で働きながら壱岐に来て凧作りを教わっていたんですけど、そうしてるうちに家族には「継ぐんだな」ってわかったみたいです。
初めて竹切りから最後の絵の仕上げまで一人でやったとき、形もいびつだし絵もぐちゃぐちゃで本当に下手だったのに、おじいちゃんが「上手たい!」と、褒めてくれて、私が作った凧を見て本当に嬉しそうにしていました。それが今でも仕事の励みになっていて「おじいちゃんが喜んでくれるといいな」って思いながら作っています。

伝統を守るために

福岡から通ってた時も含めて4年ぐらいが経って、やっと自信が出てきた感じです。
おじいちゃんは基本的に何でも褒めてくれたんですけど、唯一注意されたのが「私の作る凧は顎が細くて弱く見えるから、顎を広めにとって迫力をつけて」ということ。また、武士の顔が一番大事で、特に目で印象が変わるので「武士の目は最後に描きなさい」とも教わりました。
竹のバランスが悪いと上手く飛ばないので、最後に上げてうまく飛んだ時は嬉しいですね。天気が良いと青い空に鬼凧の赤い色が映えて本当にきれいです。
最近は新しい絵で作ることを提案されることが度々あるんですけど、私はこの伝統的な鬼凧を守っていきたいです。

斉藤 あゆみさん
壱岐鬼凧職人
斉藤 あゆみさん
平尾 フクヨさん
師匠
平尾 フクヨさん

師匠
平尾 フクヨさんインタビュー

あゆみちゃんは凧作りが好きなんでしょうね。何でも一生懸命にやってくれています。
夫婦で細々と45年やりましたが、おじいさんの怪我があったときは「もうやめようか」という話になりました。おじいさんの体調が良くないと、大きな凧の竹を切り出したり、和紙を貼ったりするのが体力的に辛くなってきましたから。
だから、あゆみちゃんが福岡から通いながら「凧作りをやってみるよ」って言った時はおじいさんが本当に喜んだんです。ですから、あゆみちゃんの凧が上がる時、きっと見てると思いますよ。
あゆみちゃんには、おじいさんが大切にしてきたものをしっかり残していってほしいと思います。

取材を終えて

壱岐島で生まれ育った人で鬼凧の存在を知らない人は一人もいない。
実際、島の様々な所で鬼凧のことを訊ねてみると、誰もが「鬼凧職人のあゆみさん」の存在を知っていた。
鬼凧は壱岐の人アイデンティティの一つだと感じられた。
工房では朝から夕方までずっと手を動かして鬼凧を作っている祖母のフクヨさんとあゆみさん。二人とも仕事や義務感ではなく「好きなので」鬼凧を作っている様子に感銘を受けた。
あゆみさんは「おばあちゃんの年齢まで続けたい」と言っていたが、フクヨさんの様子を見ていると、きっと実現するんだろうな…と思わせてくれる取材だった。

加賀繍

壱岐鬼凧

家内安全・無病息災の魔よけとして、島の家々に飾られている。1993年に県知事指定伝統的工芸品に選ばれた。
凧の絵柄は壱岐の島に残る「鬼退治伝説」。壱岐に住んでいたとされる5万匹の鬼を束ねる「悪毒王」と、鬼退治の勇者である百合若大臣の戦いに基づいている。
「他の鬼たちが近寄らないようにするため、百合若大臣が撥ねた悪毒王の首が百合若大臣の兜に噛み付いた場面を描いて凧にしてあげた」とされ、それが今では魔除けとして伝わるようになった。
かつては壱岐の島内に数名の鬼凧職人が居たが、今はあゆみさんと祖母のフクヨさんだけとなっている。

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