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秀衡塗 塗師
青栁 匠郎

Aoyagi Takuo
1985年 岩手県生まれ

秀衡塗工房「丸三漆器」の四代目 青栁一郎氏の次男として生まれる。伝統工芸士である父の働く姿に憧れを抱いていたが、大学を卒業した後、一般企業に就職した。その時も頭の片隅には常に工房のことがあった。
2つ年上の兄が工房経営を継ぐことがきっかけとなり、自分は職人として工房を支えると決意する。
漆塗りの基礎を学ぶため県内の施設で2年間の研修を受け、正式に工房で働き始めた。
秀衡塗を後世に伝える存在となるべく、父と叔父、2人の師匠のもとで日々技術を磨いている。

下塗り後に漆の塗膜を厚く塗り、最後の上塗りに回す中塗りの行程。
塗師にとって漆といかに上手に付き合えるかが重要である。
日によって違う湿度や温度を読んで、漆の硬さを調整する。

青栁 匠郎さん インタビュー
秀衡塗の魅力

美しい漆、ふっくらした形、雲の絵、金箔の加飾が魅力です。私自身、歳を増すごとに好きになっています。また、漆器は使い込んで風合いが出てくるところも魅力のひとつです。
漆器をお正月やお祝い事など特別な日にしか使わない方もいらっしゃって少し残念に感じていたので、「普段使いの漆器」というコンセプトの「FUDAN」という商品ラインナップを兄と立ち上げました。
漆器という伝統的な器を多くの人に使ってもらいたい。そして漆器を使っている人が笑顔で食事をされている、そんな姿をイメージしながら作っています。

塗師を目指して

小さい頃、父に付いて素材集めや納品に行っていました。工房での作業を見るのも好きでしたね。特に絵付けの工程を見るのが好きで「楽しそうだな」って思いながら見ていました。でも実際やってみるとかなり難しくて、想像以上に深かったです。
漆の調整や塗り方や刷毛の使い方は、その時その時の状況で漆の具合が変わるので、毎日が勉強という感じです。今は「中塗り」という工程を担当していますが、上塗りをする人が漆を塗りやすくするよう仕上げることを大事に作業をしています。

上塗りは一度しか行えないため、この1回で均一な厚みの塗膜と漆の美しさを出さなければいけない。
ムラにならないように、チリやホコリがつかないように慎重に作業する。

丸三漆器 四代目
青栁 一郎さん インタビュー

匠郎が就職した時に「たぶん継がないだろう」と思っていたので、まさか兄弟二人でやりたいと言い出すとは想像もしていませんでした。とはいえ「職人になる」って言ってくれて有り難かった。
私には職人としての経験しかないけど、匠郎には会社員の経験があります。今は「伝統を残す」と言っても技術ばかりでは生き残れない。だから匠郎みたいに外の世界を知ってる人間が職人になるのは良いことなんじゃないか、と思っています。

青栁 匠郎さん
秀衡塗 塗師
青栁 匠郎さん
青栁 一郎さん
丸三漆器 四代目
青栁 一郎さん
青柳 三郎さん
秀衡塗 塗師
青柳 三郎さん

秀衡塗 塗師
青柳 三郎さん インタビュー

匠郎が最初に来た時よりだいぶ地に付いてきたとは思いますが、私から見ると「まだまだ始めたばかり」です。
毎日変化があって思い通りにならないところに漆の面白さを感じますが、漆に職人が振り回されるのではなく、職人が漆を自在に扱えるようになるには、漆とじっくり向き合うこと、また自分とも向き合うことが大事です。
私もまだ勉強中ですが、今の若い人は吸収力があって器用ですから、意欲を持ってやれば早く上達すると思います。

取材を終えて

常に明るく前向きに、そして挑戦することも忘れない。青栁匠郎さんはそんな職人だ。
会社員を辞めて家業を継ぐことを決意したのは〝兄と一緒に仕事をすると楽しそうだから〟。意外とそんな気持ちの方がいい仕事ができるのかもしれない。
そして、秀衡塗と匠郎さんはとても恵まれているのかもしれないと思うことがある。それは「丸三漆器」が兄や父、叔父、叔母、など家族・親族で手を取り合って守り続けていること。これから先、塗師としての匠郎さんの前には様々な難題が現われるかもしれない。しかし一緒に働く家族がいる限り、その行く末は明るいに違いない。
次に匠郎さんが作る漆器はどんな笑顔にさせてくれるのか、楽しみである。

秀衡塗

秀衡塗

諸説あるが、平安時代末期に平泉で栄えた州藤原氏第3代当主・藤原秀衡が京より職人を招き、東北地方でふんだんに採れる漆と金を使い、器を造らせたのが起源とされている。
江戸時代後期からは平泉町隣村の衣川村で漆器が盛んに製造されるようになり、最盛期を迎える。
1935年(昭和13年)には民芸の父と言われる柳宗悦による調査により、増沢塗職人が秀衡椀を「秀衡塗」として復元し広く作られるようになった。そして、増沢塗職人は1955年(昭和30年)の衣川ダム建設に伴い平泉町の周辺に散在するようになる。
現在でも職人一人ひとりの手で作られる昔ながらの作業工程は、歴史的にも価値のあるものとして1985年(昭和60年)には、国指定の伝統的工芸品に指定された。

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