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久留米絣作家
松枝 崇弘

Matsueda Takahiro
1995年 福岡県生まれ

久留米絣の工房「藍生庵」の六代目。父は重要無形文化財久留米絣技術保持者会 前会長 松枝哲哉(哲也)
幼い頃より工房で遊びながら藍染めの技術を身につける。大学を卒業した後、一般企業に就職するが、父が余命宣告を受け、工房を継ぐ決意をする。限られた時間の中、病室から父の指導を受けた。
父が他界した翌年、日本伝統工芸展に初出展した作品は、日本工芸会奨励賞を受賞した。
父から受け継いだ「絣の光」を守るため、日々研鑽を重ねている。

図案を元に糸一本一本に墨をつけ、その糸を糸の束に沿わせ墨のついたところをくくっていく。
括ったところは藍に染まらずに白く残り絣模様になる。
染め分けた経糸たていと緯糸よこいとの組み合わせで模様を生み出す緻密な世界だ。

松枝 崇弘さん インタビュー
藍に生きる

「藍はカワイイ」。父の言葉です。藍菌が発酵して染められる様になり、毎日世話をして、やがて染められなくなる。藍の一生に寄り添います。藍は手をかけた分だけ良い色で応えてくれます。手がかかるほどカワイイ、我が子と一緒なんです。
工房名の「藍生庵」は藍に生きるという思いから付けられました。生活の中に藍があり、藍と共に生き、人生を終える。藍によって私たちは生かされています。生涯、藍を追求した父の生き様が藍甕の中に詰まっています。父から受け継いだ藍への愛情を大切に、藍と生き、糸一本一本に藍の命を染めていきたいと思います。

技術は遊びで覚えた

幼い頃の遊び場は工房でした。糸車、織り機、藍甕、全てが遊び道具でした。父や母は、そんな私を怒ることなく、一緒に遊びながら、久留米絣の技術をさりげなく教えてくれていたんだと思います。遊びの中で自然と身体が覚え、何より久留米絣や藍が大好きになったことが大きかったと思います。幼い頃に身に付いた技術は、今の自分の土台になっています。そんな環境の中で生まれ、久留米絣を制作できることに感謝しかありません。こうして繋がってきた久留米絣の文化を未来へ繋ぐことが、何よりの恩返しだと思っています。

毎日甕を撹拌し、藍が建った藍甕で糸を染める。染めの時間を見極め一気に絞る。
藍は空気に触れた瞬間に酸化して本来の色となる。
染める回数によって淡い色から濃い色まで色は無限に広がる。

父の絣の光は道しるべ

父に癌が見つかったのを機に、父と同じ道に進む覚悟をしました。父は、藍色の中に白い絣模様が輝く「光の表現」を追求してきました。遺作となった久留米絣着物「光芒こうぼう」は、藍色の宇宙に大小の星が瞬いています。藍に生涯を捧げた父が、命いっぱいに絣の光を輝かせ、命がけで完成させた集大成です。そこには、父が私に伝えたかった全てが詰まっていて、何よりの教科書です。藍に真剣に向き合ったからこその藍の色、久留米絣に愛情を注いだからこそのデザイン。父の作品からは、光だけではなく、時の流れや風や音までが聞こえてきます。父の作品は私たちの「道しるべ」となって作品の指針を示してくれます。私も父のように藍と久留米絣に愛情を持って、藍色の中に輝く絣の光を天国の父に届けたいと思います。

取材を終えて

工房「藍生庵」は山中にポツンと佇み、昔話に出てくるような雰囲気。豊かな自然の中で制作される久留米絣からは優しさを感じました。「手仕事が生んだ優しさを纏う」といった感じ。
久留米絣は驚くほど工程が多く、作業に追われる日々の中でも崇弘さんはとても穏やかでした。そんな中、崇弘さんが真剣な眼差しになる瞬間が。それは、藍との対話の場面。「染められるようになるまで、徳島の藍師さんなど多くの方の想いも入っている。その想いを無駄にしないように染める責任がある」と話してくれました。
そんな崇弘さんが染めた藍は、澄み切ったキレイな藍色で心まで深く染み入るのだと思いました。

久留米絣

久留米絣

福岡県南部の筑後地方一帯で受け継がれる藍染めの綿織物。
江戸時代後期に井上伝という少女が古い色落ちした着物をヒントに、絣の模様を織り込む技術を発見したとされる。最盛期は年間200〜300万反を生産していたが、戦後は洋装化により需要が激減、現在は少量の生産にとどまっている。
手くびり(手括り)という技法により括った糸を天然藍で染め、あらかじめ染め分けた糸を手織りで仕上げる。この技法は1957年に国の重要無形文化財に指定された。

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