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近江おうみ一閑張いっかんばり職人
蛯谷 亮太

Ebitani Ryota
1991年 滋賀県生まれ

20代前半はバイク店で整備士を目指す傍らレース活動に没頭していたが、レース中に大怪我をしたことをきっかけに自らの人生を見つめ直す。
その頃、父の豊さんが近江一閑張の看板を下ろすことを考えていると知り、自分をここまで育ててくれた近江一閑張をこのまま潰してしまうのは惜しいとの思いから、自ら継ぐ事を決意。試行錯誤を重ね様々なニーズに合った製品を編み出し、海外にも進出。
祖父や父から受け継いだ技術に独自の発想を織り交ぜながら、近江一閑張を広めるべく邁進している。

紙紐を編み込んで籠を作り、その上に特殊な技術を使って和紙をしっかりと貼り合わせる。
さらに近江一閑張独自の模様を描いた和紙を上貼りする。

蛯谷 亮太さん インタビュー
近江一閑張の魅力は?

張り目の美しさと軽さですね。手をかけて和紙を密着させているので網目が浮き出て、紙だと信じてもらえないこともあります。色合いは、柿渋だけの色ではなく和紙の色と柿渋の色が透けた仕上がりで、他には無い魅力だと思います。

どんな作品を作りたい?

近江一閑張は伝統に縛られていないので、自由にできる側面が強いです。僕のアイディアで作っていけるので色々と試していて、白と黒を基調としたモダンな作品を作ったり、同世代の他ジャンルの職人さんとコラボしたりています。今後は、大きな作品も作っていきたいと思っています。
軽くて丈夫なのが売りなのでどこまで挑戦していけるかだと思いますね。

乾燥を終えた籠を柿渋にひたし、まんべんなく塗る。
乾燥と塗りを3度繰り返すことで、美しさだけでなく強度や防水・防腐・防虫効果が増す。

今後の目標は?

何百年も続いている所だと認知度もありますし、やり方も確立していると思います。うちはやり方も手探りですし、認知度も低いのでそのあたりをしっかりと確立させていきたいです。
また、主なお客様として年輩の方が多いので若い層にも広めたいという気持ちが常にあります。海外進出にも挑戦しているので海外の方にも魅力を知ってもらいたいです。

三代目が繁栄するのも衰退するのも別れ目とよく聞くので、ここから軌道に乗せて続けていきたいと思います。

蛯谷 亮太さん
弟子
蛯谷 亮太さん
蛯谷 豊さん
師匠・父
蛯谷 豊さん
蛯谷 金介さん
師匠・祖父
蛯谷 金介さん

師匠
蛯谷 豊さん インタビュー

亮太さんが継ぐことについて

これからも伝統が続いていく嬉しさと、私が今までやってきた仕事を子供が継ぎたいと言ってくれた嬉しさがありましたね。
息子は小さい頃からこの仕事場で遊んでいましたし、私や父の作業を見たり材料を引っ張り出して作ったりしていたので飲み込みは早かったです。仕事は丁寧にやってくれますし、若い感覚で私には思いつかないような物を作製してくれるので将来が楽しみです。時代の流れがあるので、世の中のニーズに合うような物を、自分の技術を活かして作っていってほしいです。
お客様に商品として出すのに恥ずかしくない作品だと思うので、これからはより一層磨きをかけて上を目指し、より良い物を作ってくれたらと思います。

取材を終えて

「そこに40年以上前に作った一閑張があるんです」
そう言って初代の蛯谷金介さんが出してきたのは、道具や資材などが乱雑に入れられた、古い近江一閑張の箱。現在製作している箱と比べると、形も整っていなければ、丈夫さも劣る。しかしながら箱自体の機能は全く損なわれておらず、何より長年使われてきた道具自体が持つ凄みが伝わってきました。

そんな初代と二代目の父・豊さんの姿を見て育った亮太さんは、とても口調が丁寧で、人当たりも良い好青年。でもいざ一閑張作りに取り掛かると、寡黙ながらも情熱的な眼差しを見せます。
その一方、初代にも負けない発想力で、近江一閑張の今後の夢を語る姿は、年齢相応の煌めく若さが光っていました。

編んでは乾燥、和紙を貼っては乾燥と、製作に時間を要する近江一閑張ですが、伝統工芸とは職人達による、日々の積み重ねの上に成り立っていくものなのかと感動しました。近江一閑張のさらに50年、100年後の姿が楽しみです。

江戸甲冑

近江おうみ一閑張いっかんばり

「一閑張」は漆器の工芸技法の一つで、竹や木で組んだ骨組みに和紙を張り重ね、漆を塗ったもの。
江戸時代初期、中国大陸から渡来した「飛来ひき一閑いっかん」が祖と伝えられている。千家十職の一つに数えられ茶道具などに用いられる。
「近江一閑張」は従来の一閑張とは異なり、素材に紙紐を用いており、丈夫で軽く扱いやすいのが特徴。亮太さんの祖父である蛯谷金介さんが考案し、新たな伝統工芸品として知られるようになった。

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