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笹野一刀彫 工人
小山 泰弘

Koyama Yasuhiro
1983年 山形県生まれ

米沢市の笹野地区で生まれ育ち、高校卒業後、東京で3年間会社員として働いたのち、米沢に戻り就職する。
30歳を転機に「何か地元に関わる仕事をしたい」と考えていたところ、笹野一刀彫の後継者がいないことを耳にした。
慣れ親しんだ「お鷹ポッポ」がなくなってしまうのはもったいないとの思いから、のちに師匠となる高橋清雄さんを訪ねる。
はじめは断られたものの、再三熱意を伝え続け、半年後ようやく弟子入りが叶い、現在は、彫りから絵付けまで行う「工人」として研鑽の日々を送っている。

お鷹ポッポ作りで最も難しい羽と尾の工程。同じ角度、同じ厚さで削らないと重なりが生まれない。
羽の躍動感は、巧妙かつ均一な厚さで彫られているからこそ表現できる技。

小山 泰弘さん インタビュー
弟子入りを志願した時の
師匠の反応は?

正直いうと渋かったですね。「おお〜そうかそうかやってみろ」という好意的なものではなく、大変な仕事だと。

清雄さんはずっと笹野一刀彫をやってきて、その苦労は誰よりも分かっていると思います。大きな刃物を扱うので怪我の可能性もあるし、収入面の不安もあり、働き盛りの我々にやらせるのはあまりにも厳しすぎるという思いがあったのだと思います。

それでも諦めずに話し続けて、半年くらい経ってようやく、清雄さんから刃物を譲り受けることができました。

小山 泰弘さん
弟子
小山 泰弘さん
高橋 清雄さん
師匠
高橋 清雄さん

笹野一刀彫の魅力は?

大きな刃物を使用する特殊な仕事ですが、代わりの者が彫る事ができない仕事なのでそういうところが魅力だと思っています。
笹野一刀彫を無くしたくないという気持ちで始めたので、お客様から「一刀彫がまだあったんだ」「こういう新しい物ができたんだ」などと気付いてもらえると、やっていて良かったなと思います。

今後の目標は?

次の世代が出てくるためには、一刀彫の価値を上げ、一刀彫一本で食べていける様に持っていかなければと思います。もう一度ブームを狙うのではなく、作品の価値を底上げし、昔ながらの伝統的なものも大事にしながら少しずつ新しいものも作っていけたらと思います。

取材を終えて

笹野一刀彫だけで使う刃物・サルキリを自在に操り、一本の木から次々と鷹や鶏、亀などを削り出していく小山さん。刃の運び方にためらいはなく、工程にも無駄がない。
さぞかし学生時代は彫刻や工作が得意だったんでしょうね、と聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「いや全然。むしろ苦手だったですね」

まったくの素人からこの道に飛び込んだ小山さん。師匠や兄弟子は皆70代で、細かい部分を教わる機会はあまりない。それでも今まで工人としてやってこられたのは、やはり同世代の佐藤兄弟との連携が大きいという。
わからないことがあれば、3人で相談する。得意不得意を教え合う。相手が良いものを彫ったら、それを参考にする。
「私はライバルとは思ってないですけど、やっぱり和憲と和寛がいるのは心強いです」
同世代の工人たちが創る、笹野一刀彫の新時代。できれば10年後、さらに20年後。おたか三兄弟が作る笹野一刀彫を見てみたいと思えた取材でした。

笹野一刀彫

笹野一刀彫

千数百年前から続く、農民達が刃物一本を用いて作る郷土玩具。

約1200年前、笹野観音に時の征夷大将軍である坂上田村麻呂が戦勝祈願で笹野花を捧げたのが始まりと言われる。江戸時代、米沢藩主・上杉鷹山が笹野の冬の仕事として推奨し、代表的作品として「お鷹ポッポ」が製作されていた。

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