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珠洲焼すずやき作家
中島 大河

Nakajima Taiga
1994年 石川県生まれ

金沢市で生まれ育ち、大学は金沢美術工芸大学で油絵を専攻。2017年に珠洲市で開かれた奥能登国際芸術祭に金沢美大プロジェクトチームのリーダーとして参加。
準備を含めて2年間ほど金沢と珠洲を行き来し、最後の1年間は珠洲に住み込んでの制作活動だった。
そこで珠洲の人々の温かさや素晴らしさに触れるとともに、珠洲焼と出会う。「きらびやかな焼き物ではなく素朴で朴とつとした姿」に魅了される。一生をかけて打ち込めるもの作りの仕事をしたいと考えていた時に珠洲焼と出会った大河さんは、珠洲焼作家 篠原たかし氏の門を叩き、金沢から移住して日々作陶を学んでいる。

底の深さと広さを決めたら均一な厚さでまっすぐ持ち上げる。
丸みを加えるときや口の広さに絞り込むときも均等な力で行う。

中島 大河さん インタビュー
珠洲焼の魅力は?

黒いところに惹かれます。ただ黒いだけではなく焼き方の違いが結構でます。
実際に手に取ってみると思っているほど黒くなかったり、少し青みがかった黒や緑っぽい黒があったりして、作り手の生み出す姿かたち、フォルムが一層際立つと感じます。そういうところが深みであり、面白いです。

作陶において注意していることは?

ろくろを回すときはむしゃくしゃしないということです。どうしても落ち着くことができない時は作業をやめますね。作業していても自分が動揺しているのが土にそのまま出てきてしまうだけなので。焦りを出してしまうと、土はただそれを返してくるのでこんな状況でやってもダメなのだと分かります。
土を触っているのはすごく楽しいです。どんな土でも自分が上手に使ってあげられるようになりたいですね。

最初2日ほどは時間をかけて焚く。急激な温度変化は作品の割れを招いてしまう。
1200℃まで温度を上げきるには「窯が何を欲しているか?」見極める経験が必要。

今後どういう作品を作っていきたいですか?

それは一生をかけて考えていく課題だと思っているので、今はおぼろげにしか分かってないんですけど、「ただそこにあるだけで良い」と思ってもらえるものを作りたいです。
魅力や良さが伝わる様なものになっていないと人の心って動かないんだと思います。そういうものをたくさん作れるようになりたいです。

中島 大河さん
弟子
中島 大河さん
篠原 敬さん
師匠
篠原 敬さん

師匠
篠原 敬さん インタビュー

珠洲焼との出会は?

裸になって一から自分の人生考えたいと思っていたときに、裸の焼き物に出会ったんです。黒の潔さ。華飾のないシンプルさ。でもなんか暖かくて。きゅっと焼き締めた凜とした立ち姿。
自分がこうありたいと思う立ち姿とオーバーラップしたんです。そして珠洲焼の復興を成し遂げられた能村耕二さん、中山達麿さん。お二人に出会って珠洲焼の道、プロの道に進もうと決めたんです。二人の先輩の元へ通って勉強させていただいて生き様に触発されました。僕は弟子というのは、盗ませていただいて与えてくださった師に対して「私はこの人の弟子です」という〝名乗り〟だと思っています。。僕は弟子入りさせていただいたわけではないんですが、お二人の弟子と思っています。

中島大河さんに対する思い

これからの珠洲焼を担う一人になってほしいという思いで迎え入れました。このままこの道で生きていってほしいなと思います。そして、この地で珠洲焼を絶やさず、また力がついたら次の人を育てる様な人になってほしいですね。
今は好奇心を持って見聞を広めるのも彼にとって大事だと思います。金沢へ行けば、いろんなギャラリーで展覧会をやっていますから。とにかく見るっていうことも大事だし、いろんな作家さんと会うということも大事、そう思っています。

取材を終えて

昼は道の駅で仕事、夜は師匠の工房で土と向き合う。朝早くから夜遅くまで、本当によく身体が保つものだと驚きました。打ち込めるものがある強さというものを改めて感じました。
師匠 篠原さんはそこを少し心配していて、もっと人と出会ったり、ものを見て回ったりすることも大事だと。そんなお二人と濃密な時間を過ごさせていただき、お二人の珠洲焼にかける思いも十分に肌で感じることができて、窯焚きの一部始終までも拝見させていただいたことは、自分にとっても貴重な体験でした。
陶芸の世界は難解で敷居が高いイメージがあったのですが、作り手の方の気持ちは実にシンプルで、「見る人に心を寄せていただけるもの」「良いと思って好きになってもらえるもの」を生み出すために格闘されているのだそうです。
そのためにご自分の内面を磨き、ひいてはそれを映し出す作品を磨く日々なのだろうと感じました。

珠洲焼

珠洲焼

珠洲焼は黒灰色に輝く凜としたその姿が特徴。平安時代末期から能登半島先端の珠洲郡内で作られた中世を代表する焼物である。
北陸から東北、北海道に至る東日本の日本海域を広大な商圏としていたが、15世紀末に衰え廃絶する。その存在は昭和になってからはじめて確認され、1979年2月、500年の沈黙を経て現代に復興を遂げた。中世の製法に則りながら現代の多彩な技も加わり、新たな珠洲焼の歴史を刻んでいる。
珠洲の土には、鉄分が多く含まれており1200℃以上の「強還元炎」で焼き締めることで黒灰色の独特な色合いを呈する。また釉薬ゆうやくは用いないが、薪で焚く際にふりかかった灰が高温で溶けて流れ、自然釉が織り成す幽玄の景色をあらわす。

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