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#134

千葉県 江戸手描き鯉のぼり職人
舞い泳ぐ昇龍に魅せられて―

三代目金龍

江戸手描き鯉のぼり職人

提供 秀光人形工房

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江戸手描き鯉のぼり職人
三代目金龍

Sandaime Kinryu
1992年 東京都生まれ

鯉のぼりや雛人形といった節句飾りを製作する「秀光人形工房」に生まれる。
幼い頃から絵を描くことが得意で中学から大学まで美術系の学校で学び、卒業後は家業へ活かすべく江戸手描き鯉のぼり職人の道を志す。
しかし、江戸手描き鯉のぼりを行なっていた初代の川尻金龍は亡くなり、二代目である父は図案を受け継ぐも捺染なっせん専門の鯉のぼりを製作していたことから、江戸手描き鯉のぼりの伝統は途絶えていた。そのため、手元に残っていた川尻金龍の失敗作を元に一から手描き鯉のぼりを復活させる。
数年の修行を経て「三代目金龍」を襲名し、伝統を受け継ぎながらも時代にあった色合いを試みるなど常に進化し続けている。

筆を挟んだコンパスを使って、下絵の上に一気に描く。
本物の鯉を表現するために、手描きならではの筆のかすれや動いた跡が大事になってくる。

三代目金龍 インタビュー
なぜ鯉のぼりが好きなのか?

子供の頃、工房では毎年鯉のぼりをあげていました。端午の節句は男の子の祝い事ですが、ずっと見ていた景色なので男の子のものという意識はありませんでした。青空に色鮮やかな鯉のぼりが自由に泳ぐ姿が子供心に刺さったんだと思います。職人の道を志した時は、鯉のぼりが好きだったので「やるんだったら絶対に鯉のぼり職人になろう」と思っていました。

今後の目標は?

大学院の受験をしようと思っています。 鯉のぼりは江戸時代に江戸で生まれたと言われています。どのような出来事が起きて鯉のぼりが生まれたのか学びたいです。色んな職人さんからそういう話を聞くんですが、言い伝えられる話とアカデミックな話は違うと思っています。両方真実だと思うので歴史としての鯉のぼりを学びたいなと思っています。

江戸手書き鯉のぼりの吹き流しは、川尻金龍の伝統の金昇龍という絵柄を使う。
色は現代に合わせ、派手ではないものの空に上げたときに華やかな色合いにしている。

鯉のぼりに対する思いは?

鯉のぼりがあがっているのを見て笑顔になる方が沢山いると思うので、その風景が無くならなければいいなと思っています。 少子化で子供が減っていたり、季節のお祝い事を家であまり行わないことが増えていると聞きます。子供の頃に家族からしてもらったことはやはり覚えていると思うので、みなさんの心に残るような鯉のぼりを作りたいなと思っています。

取材を終えて

午後三時半になると秀光人形工房ではお茶の時間になる。同じ店で働く祖父や祖母、長年勤めてきた職人の皆さんや店の従業員と、お茶請けをつまみながら楽しい会話の時間が始まる。
三代目金龍を襲名した金田鈴美さんも、店の職人さんたちの中では「すーちゃん」だ。小学生の頃はアルバイト代として50円をもらって店の手伝いをしていたという。そしていつの頃からか手描き鯉のぼりに魅せられ、修行を重ねて職人となった。
今回取材を重ねる中、何度か繰り返し聞いた質問がある。美術大学を出たのだから、いつかオリジナルの鯉のぼりや吹き流しを作ろうと思わないのか、という質問だ。すると三代目金龍は、いつも意外なことを聞かれたという表情でこう答える。「オリジナル?考えたこともないですね」。その回答が意外だったので何度か聞いてみたが、やはり答えは同じ。だが毎日お茶の時間に顔を出していると、なんとなく感じることがあった。「すーちゃん」はこの時間が大事で、守りたいものなのではないか。
同じように三代目金龍は、初代から受け継がれた伝統を変えるものではなく、それを受け継ぎ守っていくことが大切なことなのではないか、と。
都会では大きな鯉のぼりをあげる場所は年々少なくなっているが、だからこそ伝統を受け継ぎ、伝えていくことが三代目金龍にとって大切なことなのかもしれない・・・そう感じた取材でした。

日本刀・研ぎ

江戸手描き鯉のぼり・初代川尻金龍

江戸時代中期、端午の節句の時期になると武士の家では男の子の成長を願い幟に武者絵を描きあげていた。庶民たちがそれを真似し古くから魔よけとされていた吹き流し同様、縁起物である鯉を飾るようになった事から鯉のぼりをあげる風習が生まれる。 川尻金龍は、唯一の江戸手描き鯉のぼり職人であった。金龍は、吹き流し部分に初めて「登龍門」の伝説を描き、厄災を打破して家運を盛り上げ、子供達の健康と立身出世の願いを込めたとされている。金龍の吹き流しや鯉のぼりの図案は三代目金龍に受け継がれている。

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