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井波彫刻 彫刻家
田中 郁聡

Tanaka Fumiaki
1982年 愛知県生まれ

幼い頃からものづくりが大好きで、23歳の時に故郷の名古屋を離れ、伝統工芸士 池田誠吉氏に師事。住み込みで修業に励み、5年の修業を経て28歳(2011年4月)で独立。「明日への扉」では、独立後も親方の元、欄間らんまなどの彫刻の技術を学び続ける姿を取材した。
そして今回、独立して10年目を迎える田中さんを再び取材。寺院彫刻や山車の屋台彫刻など、幅広い彫刻に携わり、「2019年越中アートフェスタ立体部門」では、古代魚ピラルクをモチーフにした作品で大賞を受賞。名古屋城本丸御殿の復元などにも参加し伝統を支え続けている。

樹齢200年の欅から狛犬を彫る。木目が細かく均一で、彫りに適している。
木との縁を大切にしながら彫り上げる。

田中 郁聡さん インタビュー
取材当時2012年と比べて成長した点は?

2012年、取材時に制作した木鼻きばなは、下から見上げるものなんですが、目の位置が見えにくく、細かい部分や仕上げの粗さも目立ちます。経験が少なかったのかなと思います。 材料は、修業時代に購入したけやきです。木目も不揃いで、何より硬く、なかなかノミが入っていきませんでした。作業をした日は、腕が筋肉痛になるほどでした。 あの時、硬い木で木鼻を完成させられた事は、それ以降、硬い木を扱う時の自信に繋がりました。展覧会で大賞を受賞したピラルクは、木鼻や欄間のように下からの見え方を意識して作りました。そうした考えが骨身に染みているのは、成長したひとつの証だと思います。木を扱うことは、木との縁でもあり、樹齢を重ねた木を使う限り失敗はできません。木との出会いに感謝して作品と向き合っています。 常に前の作品よりも良いものを作りたいという気持ちで、これまで積み重ねてきた技術にプライドを持って仕事をしています。

古代魚のピラルクを鱗まで精巧に彫り上げた作品。
一見、梁にピラルクを取り付けたように見えるが、大木から彫り出しているため一体化している。

名古屋城本丸御殿 欄間彫刻の復元に携わって

名古屋城は、故郷、愛知県名古屋市のシンボルです。
名古屋城本丸御殿の中でも最も格式が高い上洛殿の欄間彫刻に携わる事が出来ました。戦時下、空襲で焼失してしまった名古屋城本丸御殿を復元するという大プレジェクトで、残されていた貴重な資料を基に復元しました。
普段やっているこだわりを一切捨て、400年前の職人のノミを入れる方向やノミ数といったノミ跡を忠実に再現しました。気の遠くなる作業でしたが、400年前の職人に問いかけながら、彼らの想いを想像し、技術を学び、時代を超えた会話を楽しみました。
一生に一度の仕事だと思い、今後、自分の木彫刻人生にとって大きな財産になった事は間違いありません。名古屋城に行く機会がありましたら集約された匠の技を堪能してもらうだけではなく、タイムスリップした気持ちになってもらえればと思います。

取材を終えて

井波の町を訪れると、木の香りに包まれ、ノミの音が響いていました。
井波彫刻発祥の瑞泉寺の建物、彫刻の一つひとつに迫力や躍動感がありました。それぞれの時代の名工たちがノミに魂を込めた木彫刻にはロマンを感じます。

田中さんは、井波彫刻の伝統の技を礎に、今の時代だからこそ表現できる作品を制作していました。
田中さんが打つノミの力強い音が耳に残っています。一刀一刀は小さいけれど、日々の小さな積み重ねが揺るぎない確かな伝統を生んでいくのだと感じました。

井波彫刻

井波彫刻

富山県南砺市井波で作られる木彫刻で、200本以上ものノミを駆使して生みだす深い彫りが特徴。技術が生まれた背景には、木造建築寺院 瑞泉寺の度重なる焼失と再建がある。
江戸時代中期の再建には京都本願寺の御用彫刻師が加わり、優れた寺院彫刻を残した。
井波の職人が京都の技術を学び、幾度の再建で培った大工の技と融合させることで、大胆で繊細な井波彫刻が確立された。

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