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常滑焼 急須屋
伊藤 雅風

Ito Gafu
1988年 愛知県生まれ

焼き物の街、常滑に生まれ、土や焼き物が身近にある環境で育つ。高校生の時に陶芸を学ぶものの、当時は急須作りの技術の高さから、急須の制作など無理だと諦めていた。しかし、「急須が作れるようになれば他の焼き物も上手く作れるようになるのでは」と考えるようになり、大学在学中に急須屋の道に進むことを決意、村越風月氏の門を叩く。大学卒業後、独立。現在は、土づくりから急須を仕上げる常滑焼でも数少ない急須屋となり、朱泥の他、多彩な急須を制作している。

土の製法は水簸すいひという朱泥が誕生した当時のもの。
水を張った甕で田土を攪拌し不純物の少ない上澄みを細かいふるいで濾す。こうして滑らかな土が生まれる。

伊藤 雅風さん インタビュー
急須の道へ
~故郷・常滑の土への想い

幼い頃から土に触れる機会が多かったと思います。その頃は、急須を作ることなど想像すらしていませんでした。でも、当時の記憶を身体が覚えていて、導かれるように急須の道に進んだと思います。急須には焼き物の技術が全て詰まっていて、自分には難しくできるはずもないと思っていました。それが、いつしか「こんなに難しいものが作れるようになれば、何だってできるようになる」という思いに変わり、そこからは急須の技術をひたすら磨きました。中でも一番こだわっているのが常滑の土です。滑らかでコシがあり、急須作りに適していて、常滑の土があってこそ良い急須が作れると思います。故郷の大地の恵み、土に感謝しながら、お茶の時間を豊かにする急須を作りたいと思っています。

内側から指を押し当て胴体にふっくらと丸みをつける。
この丸みによって、お湯を注いだときに対流が生まれ、茶葉が攪拌される。

先人が残してくれた急須への想い

僕の急須作りには原点があります。それは、朱泥急須が誕生した江戸時代後期の急須です。何ひとつ妥協する事なく丁寧に作られていて、職人たちの急須への想いが伝わってきます。その頃の朱泥の色、土肌の急須を作ってみたいというのが、一番こだわっているところでもあり、大切にしているものです。当時の朱泥を再現するために、昔ながらの「水簸すいひ」という方法で土を作っています。時間はかかりましたが、ようやく納得できる色、土肌までこぎつけることができました。先人の高い技術と良質な土がある常滑に生まれて良かったと思います。先人が残してくれた故郷の財産を、これからも大切に受け継いでいきたいと思います。

急須の文化が失われないように

最近、急須でお茶を淹れる事が少なくなってきています。急須の文化を残すためには、お茶を淹れてみたいと思ってもらえる急須を作ることが大切です。最近、茶産地の土で急須を作り、その産地の茶葉を使ってお茶を淹れるという試みをしています。少しでもお茶を楽しんでもらえたらという思いで始めました。急須がきっかけになり、お茶を淹れる時間を豊かに、ホッと一息、心安らぐひとときのお手伝いができればと思います。
常滑の朱泥急須は、使えば使うほど艶が出て、育てる急須といわれています。お茶の時間に寄り添い、ずっと使いたいと思ってもらえる急須を作り続けたいと思います。

朱泥急須で淹れるお茶は、朱泥の鉄分とお茶のタンニンが反応し渋みを和らげ味がまろやかになるという。
最後の一滴には旨味が凝縮され、ゴールデンドロップと言われる。
急須にはお茶をおいしくする様々な知恵が隠されている。

取材を終えて

雅風さんは、野球や陸上をやってきた体育会系。また、ミリタリーグッズやバイク好きというワイルドな一面も。その反面、スイーツ作りも趣味で、パティシエ顔負けの洋菓子からあんこを使った和菓子まで、かなりの腕前。一度ハマると、とことん突き詰めないと気が済まない性格らしい。だからこそ、急須も徹底的に突き詰める。日用品とは思えないほど美しく、使いやすい。休憩時間に淹れてくれたお茶は、おいしかった。さぞ、高級な茶葉を使っているかと思えば、安価なものらしい。雅風さんは「おいしいという気持ちにさせてくれる急須こそが理想の急須」だと、お茶のように温かい眼差しで語ってくれた。

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常滑焼

常滑焼は愛知県の知多半島の西、伊勢湾に面した常滑市を中心に焼かれる国指定伝統的工芸品。日本六古窯の一つに数えられる。常滑焼の代名詞が朱色をした朱泥急須。鉄分を多く含む朱泥しゅでいと呼ばれる土を釉薬は使わずに焼き締める。 独特な風合いの朱色は常滑焼を象徴する色となっている。

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