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錺簪かざりかんざし職人
津留崎 千勢

Tsurusaki Chise
1983年 東京都生まれ

10代の頃は法律家を志し大学に進学、卒業するが、ものづくりへの情熱を捨てることはできなかった。
幼少期に母親が営む美容室で髪を結いあげ、華やかに着飾った女性に憧れたことを思い出し「簪職人になりたい」と一念発起、宝飾品の専門学校に入学した。
宝飾品制作の基礎を学んだのち「一から手作りで作業をしている職人さんに弟子入りをしたい」と探していたとろ、師匠である三浦孝之さんのブログに載っていた簪の写真に衝撃を受け「かざり工芸三浦」に弟子入りを志願。優しくも厳しい三浦さんの元で修行すること6年、今では数種類の簪を手掛けられるまでになった。

錺簪の基本のひとつが平打ち簪。
江戸時代後期から流行し、飾り部分には草花や縁起物のほか、武家では家紋を入れることもあった。
まるで毛のような細い線で飾りに模様を刻んでいく毛彫の表現で簪の美しさが変わる。

津留崎 千勢さん インタビュー
錺簪の魅力は?

私が作っているのは金属を切り出して装飾を施していく簪です。無機質な金属の平板に「命」を宿すようなところに魅力を感じています。
技術を身に付けるのは中々思うようにはいきませんし難しいことも多いのですが、少しずつできるようになっていくことに楽しさを感じます。
弟子入り先を探している際、インターネットで「かんざし」と検索するとプレス機で量産されたものがほとんど。私が作りたかったのは一点一点最初から最後まで手作りの簪なので、師匠の作品を見つけた時に「この簪を作っている人に会いたい!」と思いすぐに連絡しました。

切り出した花びらを一枚ずつたたき、花に曲線を作る。すると立体的な花びらができる。
薄い真鍮の板を1mmにも満たない間隔で金切り鋏で切り、筒状にして桜の花芯を作る。

花芯を花びらに差し込み、銀蝋で蝋づけを行うと桜の花が完成。

錺簪職人を目指して

「専門学校で習っているなら」と、最初に松葉の簪の課題を渡されましたが思うようにできなく「全然だめだね」と言われたことを覚えています。
学校では「簪の足」のように長く真っすぐなものを切り出すことがなかったのでガタガタでした。
そこで師匠から「直線の千本ノックをやれ」と言われ、いただいた板に直線を書いて真っ直ぐ切れるようになるまでひたすら切り続けました。
弟子入りして7年目になりますが、まだまだ師匠に認めてもらえるところまで行っていません。ある程度技術が身に付いても、状況や道具が変わったりすると途端に作業に時間がかかったりするんです。これでは一人前と言えませんね。

今後の目標は?

日本の伝統工芸品としての美しさを大切にした上で、お客様のご要望を実現できる簪職人になりたいですね。
時折「このままだと日本の伝統的なものが失われてしまうんじゃないか」思うんです。技術を持った職人が形に残していかないと。そのためには100年後、200年後も残るような作品を作れる職人にならないといけないと思いますね。
「昔の人はこうやって季節や行事を楽しんでたんだ」と未来の人に思ってもらいたいです。

津留崎 千勢さん
錺簪職人
津留崎 千勢さん
かざり工芸三浦 4代目 三浦 孝之さん
かざり工芸三浦 4代目
三浦 孝之さん

かざり工芸三浦 4代目
三浦 孝之さんインタビュー

最初、メールで連絡が来たんです。「卒業制作で簪を作りたいからアドバイスをください」という内容だったと思います。ジュエリーの専門学校の課題だったので「日本の簪」というよりは「ヘアアクセサリー」のような作品だったかな。その後も何回か尋ねてきて、そのうち「弟子になりたい」と言うので「3年間は下働きをしながら僕の仕事を見なさい」という約束で来てもらうことにしました。
彼女は観察力が良いので自然の動植物の造形などは問題ないんですが、それを髪に挿した時に「色艶」が出てくると一人前かなと思います。それはちょっとした曲げ具合だったり、口で説明できない感覚的な部分なので、やりながら覚えないといけない。職人の道は生涯勉強ですから、私でも自分が100%できているとは思いませんが、彼女はまだまだ50%です。
自分が好きなものを作るのと、お客さんの気持ちに応えることは違いますから、お客さんの気持ちにしっかりと応えられる職人になってほしいと思います。

取材を終えて

次の取材日の時間を決めるため、津留崎さんに確認すると必ず言われるのが「朝は掃除がありますので開店時間の30分後に来てください」という言葉。弟子となって6年、店の掃除は今でも欠かさない。
職人技を継ぐには長い年月がかかる。取材者には美しく完成されているように見える津留崎さんの簪も、師匠の三浦さん曰く「技術はまだまだ50%程度」とのこと。
「着物を着た方だけでなく洋装で付けたり、髪の長い男性にも簪を使って欲しい」。
一人前の錺簪職人への道はまだ続くが、10年、20年後にまた津留崎さんの簪を出会い、その変化を見てみたいと思う取材だった。

八王子車人形

錺簪

「かんざし」の語源には諸説あり、平安時代に祝宴などで髪に花や葉を飾る「花挿し」という習慣が「かんざし」になったという説が有力とされている。
江戸時代で歌舞伎などの町民文化が発展すると、急速にファッションとしての役割が進んでいく。
それに合わせ職人たちも競い合うように腕を磨き、華やかな簪が作られるようになる。
明治時代以降は一気に洋装化が進んだものの、伝統工芸品の中では人気が高く、現代でも多くの人が工房へと足を運んでいる。

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