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京蒔絵師
島本 恵未

Shimamoto Megumi
1988年 和歌山県生まれ

子供の時から和服に親しみのある環境で育つ。趣味で絵を描いていたが、本格的に日本画を学ぶために京都の大学に進学。大学で選択した蒔絵の授業で「絵がそのまま道具になっている」と感動し、蒔絵師を志す。在学中に蒔絵の先生に弟子入りし、卒業後は京都産業技術研究所で漆塗りの技術を学んだ。
蒔絵の技術を習得して間もない頃から数々の賞を受賞。26歳の時に漆職人の夫と工房を立ち上げた。
新しさと伝統が感じられるデザインは人気が高く、茶道具やインテリアまで幅広いジャンルに展開している。

蒔絵の模様をデザインする。デザインが決まったら油紙に絵を描き、その上を赤い漆でなぞって器に転写する。
これに沿って模様を盛り上げるような技法「高蒔絵」を施していく。

島本 恵未さん インタビュー
蒔絵との出会い

子供の頃から「伝統的な物を作る仕事をしたい」と思っていました。
進路を決めるとき、絵を描くのが好きだったのと、何を作るにしても日本画の知識と技術が必要になるだろうと思って、大学では日本画を専攻しました。
蒔絵の作業に触れたのは、大学の実習が初めてだったんですが、とにかく楽しくて時間を忘れて没頭しました。
それからはひたすら「綺麗!楽しい!作りたい!」と思って、突き進んでいきました。

先人の遺した技

美術館や博物館で歴史に残る作品を見ると「こんな精巧なものを本当に人が作ったの?」と思います。
自分の作品を作るようになって「歴史的な大作家と呼ばれるような人って、並の研鑽で辿り着けない領域で作業していたんだな…」ということがわかるようになりました。
また、一意専心して作品に向き合っている時の純粋な気持にも共感できるので感動してしまうんです。
人の手仕事の可能性みたいなものを感じるのと、私もこんな風に未来の人を感動させる作品を作れるような人になりたいって思います。

金の接着剤となる漆を蝶の部分に塗り、金粉を蒔く。力加減を調整し、蝶に濃淡をつけていく。
金粉が剥がれ落ちないように漆でコーティングすると、その上にさらに蝶に模様を描き細かい金粉を蒔く。
すると鮮やかな模様が浮かび上がり、羽の透明感が見事に出てきた。

京都という街

「伝統工芸の聖地」みたいなところだと思います。
お茶の先生のお宅には宝物のような漆器が当然のようにあって、ふらっと入った飲食店では金継ぎをしたお茶碗が普段使いされています。良い物がずっと使われているんです。
日常的に使う物へのリクエストを頂いたり、図案についてのアドバイスを頂けることも多くて、勉強になる街だと思います。
また、京都は伝統がアップデートされる街でもあると思うので「伝統を守る」と言っても先人の模写だけしていればいいわけではなく、新しいことに挑戦していくことも必要だと思っています。

島本 恵未さん
京蒔絵師
島本 恵未さん
杉本 晃則さん
夫 表望堂 漆職人 塗師
杉本 晃則さん

夫 表望堂 漆職人 塗師
杉本 晃則てるのりさんインタビュー

「うちでしか出来ないことってなんだろう?」と考えた時、妻の絵を描く力と、デザインする力の高さはとても強みになると思いました。
妻は日本画の勉強をしっかりとやってから蒔絵の技術を身に付けたので、妻にしか描けない絵で勝負することができます。さらに、凝ったデザインの物でも作れるようになるために、ずっと挑戦し続けているので、技術を高めることに関しても、とても貪欲だと思います。
工房を立ち上げて8年が経ちますが、京都は何代も続いてやっと認められるところですから、次世代に残せるようなものを手がけていきたいと思っています。

取材を終えて

平日は、2歳の娘さんを保育園に送迎している恵未さん。その合間の貴重な製作時間で撮影に協力していただきました。
「口下手で喋るのが苦手」と仰っていましたが、発せられる一言一言に丁寧かつ強い気持ちが感じられ、確固たる信念をお持ちの職人さん、そしてアーティストでした。
近い将来、夫である塗師の晃則さんと一緒に、二人の代表作となるような面白い作品を製作したいと仰っていました。まだ漠然としているものの、なんとなくその機会が近づいてきている予感があるとのこと。どんな構想を描いているのか、その作品が見られる日を楽しみに待ちたいと思います。

唐津焼

京蒔絵

漆工芸のうちの一つであり、平安遷都とともに京都で独自に発展した加飾法で、貴族の家具調度品や武家の武具などに幅広く用いられた。
安土・桃山時代にかけて基本三技法である「研出とぎだし蒔絵」「平蒔絵」「高蒔絵」が確立された。
江戸時代には本阿弥光悦ほんあみこうえつが金蒔絵に金銀貝、青貝などを配した光悦蒔絵と呼ばれる斬新な感覚を表現し、元禄期に現れた尾形光琳おがたこうりんに大きな影響を与えた。
光琳派の技法は、琳派りんぱと呼ばれ、現代に受け継がれている。

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