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津屋崎人形 人形師
原田 翔平

Harada Shohei
1989年 福岡県出身

国内で唯一、津屋崎人形を制作している「筑前津屋崎人形巧房」。その七代目 原田 誠の長男として生まれるが、工房を継ぐことは考えておらず、大学を卒業した後は公務員として働いていた。
しかし、展示会に来場したお客様から「以前購入した人形を我が子のように大事にしている」との話を聞き、津屋崎人形が多くの方に愛され、今まで残ってきたことを知る。
それをきっかけとし、正式に弟子入り、一から人形作りを学ぶ。
今は、津屋崎人形を受け継ぎ次代に残すために、日々の人形作りに励んでいる。

今では貴重な手押ておし製法。
2つの型に粘土を押してずれないように合わせる。
型から外し、絵の具が綺麗に乗るように傷やくぼみを取り除いて滑らかにする。

原田 翔平さん インタビュー
土の温もりと愛嬌たっぷりの人形

津屋崎人形は、立体的な人形を作り、鮮やかな彩色を施した土人形です。土には、土にしか出せない温もりと素朴さがあり、人形を手に取ると、なんだか懐かしくほっこりします。
津屋崎人形の中には、明治時代からおしゃぶり人形として使われていた「ごん太」という人形や、縁起物として古くから愛されてきた、フクロウの姿をした「モマ笛」もあります。様々な使われ方をしたり、願いが込められたり、時代時代で愛してくれた人がいたからこそ250年間繋がってきたんだと思います。人から大切にしてもらえるものを作ることができる、そんな素敵な仕事なんです。

初めてごん太の面相に挑む。
下書きは無く、筆先に全神経を集中させる。線一本が表情を左右する。
繊細な線ほど大胆に思い切って描く。

津屋崎という郷土の誇り

津屋崎には海があって、港があって、山があって、風が吹き・・・、津屋崎人形は「津屋崎そのもの」だと思うんです。人形の中に郷土の風景を感じることができます。
故郷を離れた人が津屋崎人形を見かけた時に、ほんの一瞬でも津屋崎の事を思い出し、故郷を懐かしく感じてもらえるようなものを作りたいと思っています。人形をきっかけに津屋崎の事を知る、また津屋崎をきっかけに人形の事を知ってもらう、そして、津屋崎の方々が津屋崎人形を故郷の誇りと思ってもらえたら、それ以上に幸せなことはありません。これからも、郷土の想いを人形にのせて作り続けたいと思います。

原田 翔平さん
津屋崎人形 人形師
原田 翔平さん
原田 誠さん
筑前津屋崎人形巧房 七代目
原田 誠さん

師匠
筑前津屋崎人形巧房 七代目
原田 誠さんインタビュー

伝統のバトンをつないで

工房には代々受け継がれてきた型が約1,000点残されています。先人たちの想いが詰まっている工房の貴重な財産です。どれも現役で使っています。時代を越えて現在を生きる我々に伝えられたメッセージだと感じています。
翔平が工房を継いでくれたことで、また一つ伝統のバトンが繋がったと思っています。しかし、その道も簡単ではありません。人形の表情を描く「面相」の工程は、人形の命、顔を描くわけですから技術が必要です。形はもちろん、線の太さや墨の濃淡で人形の表情が変わってしまいます。代々工房の当主たちは時代に合わせ、自分ならではの人形を作ってきました。翔平も、これからどんどん鍛錬して、誰からも愛される人形を作り、そして翔平が描いた顔で人々を幸せにしてほしいと願っています。

取材を終えて

郷土玩具は、その土地の風土や歴史、暮らしの中から生まれ、縁起物や魔除けといった意味が込められていることを知りました。郷土玩具を知ってその土地を知る、その土地から郷土玩具を知る。郷土玩具とその地域は、深い結びつきがあることを翔平さんから教えてもらいました。
「旅行に行ったとき、旅先で郷土玩具を探すと、歴史や文化を知ることができ、旅行の楽しみも増えますよ」と笑顔で語ってくれました。翔平さんも人形を作るようになって故郷、津屋崎のことを深く知ったと言います。人形から津屋崎の風や薫りを感じてもらえたらうれしいと日々土と向き合い、やがて津屋崎人形が故郷の誇りになればと語る翔平さんの眼差しは、玄海灘の水面のように輝いていました。

津屋崎人形

津屋崎人形

福岡県福津市津屋崎で江戸時代後期から作られている素焼きの土人形。
津屋崎で採れる良質な陶土を活かし、1777年に初代 原田卯七は、素朴な人形や動物を作ったのが始まりだと言われている。
粘土を2つ1組の型に指で押しつけて詰める「手押し製法」で作られ、古型博多人形の影響を受け、ぬくもりを感じる穏やかな形状と鮮やかな色づかいが特徴。節句人形や干支の人形など1,500以上の種類があり、中でもおしゃぶり人形として作られた「ごん太」とフクロウを模した「モマ笛」は高い人気を誇っている。

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