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紀州備長炭 製炭士
湯上 彰浩

Yugami Akihiro
1987年 和歌山県出身

和歌山県日高川町の製炭士・湯上昇の元に生まれる。 弟の彰太とともに、子どもの頃から父の仕事を手伝っていたが、その時は工房を継ぎたいという気持ちは一切なく、家業は弟に任せ、自身は看護師として働いていた。
6年前、父の怪我もあって工房に入ることを決意。
同級生の藤本さんも合流し、3人は備長炭の頭文字「B」から「B-STYLE」という屋号をつけ、伝統的な炭づくりを受け継ぎ守るため、力を合わせて日々取り組んでいる。

紀州備長炭では主に姥目樫ウバメガシの木が原料となる。
伐採して斜面からおろし、谷に設置した滑車を使い車まで運ぶ。
細い木は切らず、未来に材料を残す。これも伝統を守る一つの決め事だ。

湯上 彰浩さん インタビュー
仲間と共に繋ぐ炎

現役で炭を焼いているのは日高川町内で40軒ほどです。製炭士の数は僕らよりも上の世代が圧倒的に多くて、僕らなんてまだまだ若手です。先輩方で僕らみたいなチームでやっている人は少なくて、ほとんどは一人親方です。炭焼きって、ほとんどの作業が力仕事だし、量が多いでしょ。だからチームを組んで、複数人でやるっていうのはメリットがかなりあります。ただ、3人が食べていけて、家族を養えるだけの量を焼かないといけないので、経営していく上でのプレッシャーはありますよね。

「いい炭焼き」になるために

3人の中で炭焼き歴が一番長いのは弟の彰太で、もう15年になるんですが、それでもわからないことや上手いこといかないことがあります。うちは父がもう現場に出てこられないので、そういう時は自分たちで他の先輩に聞きに行って、教えてもらうしかないんですよね。
この前、窯を新しく作ったんですが、僕らは父から窯作りまでは教えてもらってなかったんです。そこでベテランの製炭士に聞きに行って、作り方はもちろんなんですが、「なぜこういう構造になっているのか」「なぜこうする必要があるのか」っていう理屈的なところを教えてもらいました。

原木の着火後、窯口を閉じ最低限の空気を入れる。そのまま1週間蒸し焼きにする。
原木の水分がなくなって炭化が進み、原木は硬くて不純物の少ない炭へと変化していく。

伝統を守るということ

「いい炭を焼く」っていう技術的な面白さもあるんですが、「伝統を残すことは僕らにしかできない」っていう部分に誇りを感じます。
もちろんいい炭を焼ける優れた職人であることが大前提ではあると思いますが、どんなに職人として優れていても焼く場所がなければ、またいい炭が焼けても使ってくれる人がいなければ、紀州備長炭の歴史が途切れてしまうじゃないですか。「この世代が終わらせた」とは絶対に言われたくないので、柔軟に新しい取り組みをどんどんやっていきたいと思っています。とはいえ、職人として歴史あるブランドの品質も落とさないようにしたいですね。

湯上 彰浩さん
紀州備長炭 製炭士
湯上 彰浩さん
湯上 彰太さん
弟 B-STYLE 製炭士
湯上 彰太さん


B-STYLE 製炭士
湯上 彰太さんインタビュー

紀州備長炭の製炭士になるには研修を1年受けるんですけど、研修で教えてもらえる技術的なことっていうのは、本当に基本的なやり方だけなんです。「いい炭を焼けるかどうかは製炭士になってからの努力次第」、みたいなところはありますよ。15年やってても「僕はまだまだ勉強が足りていないのかな」って思っちゃいますし、実際できないこともあったりします。
3人でやってて、兄貴が経営や経理のこともやってくれてるので、僕は炭焼きに集中することができています。本来は全て一人でやらないといけないことなので、チームでやっててよかったなって思いますね。

取材を終えて

彰太さんが黙々と窯から炭を出し、彰浩さんが炭を更に手前に掻き出し、藤本さんが皮の残る炭を出して燃やす。30年以上の付き合いである兄弟と友人が阿吽の呼吸で黙々と作業する。窯出しは深夜まで及び、その様子を撮影していたスタッフは長時間の撮影と絶えず襲いかかる炭の熱で立ちくらみを起こしていた。冬でも熱い窯出し、夏はたまらないだろうと思うと製炭士の苦労は窯出し一工程のみ切り取っても途方もない。
「他の職人と違って炭は燃やすと後に残らないからね」
それでも備長炭は料理人から引きも切らず求められる。彼ら無しでは日本の食文化は成り立たない。そう思いつつ、熱さで朦朧としながらレンズを職人たちに向ける取材だった。

紀州備長炭

紀州備長炭

和歌山県で生産される備長炭で、原料は主に「ウバメガシ」などの硬い木が用いられる。
炭化の終わり頃に窯の口を開け空気を送り込み、1000度を超える高温で炭素以外の不純物を焼き尽くす「ねらし」によって作られる、炭素密度の高い白炭である。
平安時代に弘法大師が唐(現在の中国)より製炭技術を持ち帰り、紀州(現在の和歌山県)の各地に伝えられ、当時より品質の高いことで知られていた田辺炭に目をつけた紀州田辺(和歌山県田辺市)の炭問屋「備中屋長左衛門」が、屋号と自らの名前から「備長炭」の名を付けて、江戸に卸したことが発祥とされている。
1970年(昭和45年)に結成された「紀州備長炭技術保存会」によって技術が継承されており、1974年(昭和49年)、紀州備長炭の製炭技術が和歌山県の無形民俗文化財に指定された。

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