B! インスタグラム

漆掻き職人
秋本 風香

Akimoto Fuka
1998年 東京都生まれ

漆芸しつげいへの憧れが漠然とあったものの、高校・大学は金属工芸について専門的に学んでいた。 金工の道で就職活動をしていたところ、現在の国産漆の状況を知る。
「国産の漆を守ることで伝統工芸に貢献したい」と一念発起。漆掻き職人になる方法を探し、二戸市の地域おこし協力隊募集の案内に迷わず応募した。
当初は漆掻きとしてのみ働く予定だったが、漆掻きの道具鍛冶の技術も途絶えかけていたため、金工を学んでいた秋本さんが受け継ぐことに。
漆掻きシーズンの6月〜10月は漆掻き職人として山に入り、それ以外の期間は道具鍛冶の技術指導を受け、日々研鑽を積んでいる。

伝統工芸品の制作や、文化財の修復に欠かせない漆。
職人の手により、一滴一滴集められる。

「国産の漆」を守るには

昔から「漆器ってかっこいいな」と眺めて、漆芸作家さんに憧れていましたが、「漆はどこで誰が作っているのか」ということまでは考えたことはありませんでした。
漆器だけでなく、いろんな伝統工芸品や文化財に使われているのに、ほとんどを輸入に頼っているということを知った時は驚きました。
また、漆掻きの道具も特殊なので、専門の鍛冶しか作ることができなくて、道具作りの技術も誰かが受け継がないと途絶えてしまうということを、二戸に来てから知りました。
道具がなければ漆を掻くことができないので、他の漆掻きさんたちに自信を持って使ってもらえるような道具を作れるようになりたいです。

漆掻きの専用道具「漆かんな」。
複雑な形状ゆえ、専門の鍛治でなければ作ることができない。

漆掻きの仕事

漆掻きを志してからはSNSなどで漆掻きの動画をずっと見ていました。
だから「かんなで傷をつけて掻き採る仕事」っていうのは知っていたのですが、「傷をつけたら漆が出る」状態にするまでの工程がたくさんあることに驚きました。
切り倒した木の状態と自分の傷の付け方を見て、去年と比べてできていることや、来年の課題を考えます。
私はまだ木を前にした時に、「どこに傷をつけようか」と考える時間ができてしまうので、それが積み重なると1日で回れる木の本数が減ってしまいます。
ベテランの方みたいに、木を見て瞬時にどこに傷をつけたらいいかがわかって、傷も迷ったりためらったりせず綺麗につけられるようになりたいです。

秋本 風香さん
漆掻き職人
秋本 風香さん
鈴木 康人さん
技術指導者 鍛治
鈴木 康人さん

技術指導者
鍛治 鈴木 康人さん

東日本大震災直後の物産展で出会った人から、「今、漆掻きの道具を作る人が青森に一人しかいなくて、後継者を探してる」って言われたんですよね。
でも専門的な道具の鍛冶だったので一度お断りしたんです。「刃がついてて曲がってるな」だけではなくて、使い手の動作を研究して「なぜ刃の角度や曲がり具合がこの形なのか」を知る必要があるからです。
でも青森の鍛冶から「技術を教えたい」と連絡をいただきました。
鍛治が弟子でもない、どこの誰かもわからない人に自分の技術を教えるというのは普通だったらありえないことですから、本当に状況が逼迫しているんだと思い、受け継ぐことを決意しました。
秋本さんは鍛治を始めて3年ですが、もう僕が作ったものと遜色ないものを作りますから、技術的には十分です。
あとは、秋本さんが「人のためにものを作り、お金をいただく」という覚悟をするだけです。
どんなに真剣で一生懸命でも、自分のために作るのと、人のために作るのでは緊張感が違います。その緊張感が、きっと成長を後押ししてくれると思います。

取材を終えて

番組の最後に秋本さんが語った「伝統工芸は色んな人の力で残してきた」という言葉。まさに漆掻き職人らしい言葉だった。
漆器は漆なくしては成り立たない。
番組ではこれまで全国各地の漆器を取り上げてきたが、伝統工芸として各地で続いてこれたのは漆器職人の働きだけでなく、漆掻き職人、さらには刷毛や木地を作る職人たちがいてこそだったのだ。
それを理解し、漆掻き職人として伝統工芸を支えたいと二戸市 浄法寺じょうぼうじ へやってきた秋本さん。
彼女の言葉の端々からは美を支える漆掻きとしての自負、漆掻きのことをもっと知ってもらいたいという思いが表れていた。
今年の漆掻きは終わったが、今も浄法寺では幼い漆の木たちが育っている。そして数年後、漆掻き職人によって漆が採られ、どこかで漆器が作られる。秋本さんたちがいる限り、日本の美の循環は止まることはないだろう。

漆掻き

漆掻き

浄法寺で発見された縄文時代の「赤い漆がついている石刃」が日本最古の漆掻き道具とされていて、縄文時代にすでに樹液を採取して塗料にする方法がとられていたことが明らかになっている。
塗料・接着剤・補強剤など、あらゆる使用方法がある漆は、その後も需要が途切れることがなかった。
戦後、プラスチック製品などが普及すると漆の価格は下落。
安価な外国産漆の流入もあって生産量も減産の一途をたどり、漆掻きの人数も全国で100人を切るようになる。
現在日本で流通している漆のうち国産漆は5%ほどだが、文化庁では、平成30年度から重要文化財の修復にはすべて国産漆を使用する方針を通達。以来、国を挙げて、国産漆の需要拡大、生産に携わる人材の育成も進められている。

動画を見る