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提灯職人
岩永 実和子

Iwanaga Miwako
1993年 三重県生まれ

三重県桑名市の岩永提灯店・四代目の岩永和彦の次女。
学校を卒業した後は幼稚園教諭の仕事をしながら店を手伝っていたが、桑名石取祭がユネスコ無形文化遺産に登録されたことがきっかけとなり、跡を継ぐ覚悟を決める。
現在は6年目で提灯の絵付けや店の事務仕事等を任されているが、骨組みを作るひご巻きや和紙を張る仕事はまだ修業中。
1日でも早く地元の祭りや行事を支える職人となるため、日々研鑽を積んでいる。

桑名石取祭の1日目が終わると、壊れた提灯が運び込まれる。
2日目に間に合うように、全て一晩のうちに修理する。

毎日の仕事と
これからの課題

お祭りの時期はありがたいことに多くのご依頼をいただきます。父と二人でそれぞれの作業をこなすので手一杯になってしまうのですが、本当はできないといけないことがまだまだ沢山あります。
子供の時から祖父と父がやっているのを見て、ササっとスムーズにやっていたので、自分もすぐにできるだろうと思っていましたが、実際にやってみると全く簡単ではありませんでした。
絵や文字を描くのは慣れてきましたが、まだ紙の種類によって筆圧や墨の付け具合などの判断は父に相談しながらやっているので、自分で判断できるようになりたいです。

甲冑を着た武士が描かれた提灯の張り替え。
描き慣れない絵柄のため、元の絵や父の助言を参考にして慎重に進める。

和紙の温かみ

今は技術が進歩して和紙に似せて作られた軽くて強いビニール質の素材が登場してきましたが、蝋燭の灯りが透けた時の温かみや美しさは和紙にしか出せないものがあります。
お祭りで手に持って使用するものは特に、落としたりぶつけたりして破けてしまうことが多いのですが、みなさんそれがわかっていても「和紙で作られた提灯がいい」とおっしゃるのは、和紙にしかない魅力があるからだと思います。
地元のお客さんはお祭り用品として親しみがありますが、桑名以外の人にも親しみを持ってもらえるような提灯を作っていきたいです。

岩永 実和子さん
提灯職人
岩永 実和子さん
岩永 和彦さん
岩永提灯店 四代目
岩永 和彦さん

岩永提灯店
四代目 岩永 和彦さん

桑名には石取祭があって、その提灯を作れるのがもう本当に少なくなったわけですが、実和子が「継ぎたい」と言ってくれなかったら、外から人を招いてでも、何としてでも残さないといけないと思っていました。
無理して継がせても、提灯が好きじゃなければ続かないですからね。
提灯も、いつだって丸くて形の決まったものが注文されるわけではありません。
特殊な形のものは、僕でも苦労しながらやり方を見つけていくことが何回もありました。
作業を覚えるのはあと5年ぐらいかかると想定してますが、最終的には、どんな依頼が来ても自分の力で対応できるような職人になってほしいですね。

取材を終えて

桑名石取祭を支えていると言っても過言ではない岩永提灯店。祭りが終わった翌日から、翌年の祭りに向けての提灯修理が始まるそうですが、祭り開催中にも修理作業に追われていることに驚きました。実和子さんは、祖父からも父からも跡を継いで欲しいと言われたことはなく、幼稚園教諭として5年働いたら提灯職人の道に進むことを決めていたそうです。
祭り当日、教え子だった子供達が、かねや太鼓を叩いたり、踊ったりしている姿を楽しそうに見つめる実和子さんの姿がありました。子供達は実和子さんを見つけると嬉しそうに駆け寄ってきて、おしゃべりしたり記念撮影したり。幼稚園教諭としての仕事は離れたものの、祭りを通して、子供達の成長を見守っている姿が印象的でした。
祭りの形式を守っているだけでなく、地域の人々の思い、成長も丸ごと支えている役目をしている気がして、伝統を守るという意味を改めて考えさせられた取材でした。

提灯

提灯

室町時代初期に中国から提灯の起源である折りたたみのできない「籠提灯」が伝わり、室町時代終わりごろに折りたたみができる提灯が登場したとされている。
当時は蝋燭が高価だったため、提灯も祭礼時に用いられる大きなものや葬儀の仏具としての使用に限られていた。
戦国時代に戦場で使用する目的で、軽くて携帯に便利な小型の提灯が登場する。
また江戸時代中期以降に蝋燭の大量生産が可能になると、提灯も安く大量に出回ることとなり、多種多様な提灯が庶民の間にも広まるようになる。
その姿は現在でも変わることなく、祭礼の道具や店の看板、生活を彩る照明器具として人々に愛されている。

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