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Ishikawa Hayata
1999年 静岡県生まれ
静岡県掛川市の横須賀地区に伝わる遠州横須賀凧の職人。師匠は祖父でもある石川昇。
幼少期からとにかく凧や祭りが大好きで、学校から帰ったらすぐに凧を持って外に出て凧揚げをし、休みの日は凧を作って遊んでいた。
別の仕事に就くことも考え一度は地元を離れて働いたが、コロナ禍の影響もあり帰郷。
20歳の時に地元企業で働きながら祖父の元で本格的に凧作りの修業を始めた。
2024年には凧作りに専念するため企業を退職。
今では数少ない遠州横須賀凧の担い手の一人として、凧作りの技術だけでなく、凧揚げの文化継承にも尽力。
凧の魅力を伝える活動を積極的に行い、500年続く伝統を守り続けている。
もともと子供の頃から凧が大好きで、祖父の真似事をして凧を作って遊ぶのが日課でした。祖父とは作業中だけでなく、家でご飯を食べている時もずっと凧の話をしていますが、話題は尽きないですね。
今回、初めて巴という凧の、大きなサイズのものを作ることに挑戦しました。強度と軽さをいかに両立させるかということに関しては、祖父の助言なくして判断できなかった部分もあります。まだまだ祖父に教えてもらいたいことはたくさんあります。
僕にとって祖父は目標ですが、祖父が作ったことのないような凧を作れるようになりたいとも思っています。
地域にも凧を専門的に作っている職人はほとんどいなくて、僕がやらないと途絶えてしまう状況でした。
子供の頃に遊びで作っていたものも今作っているものとほとんど同じ手順で作っていましたが、「商品を作る」という考え方をしていませんでした。
真っ直ぐ揚がるかどうかや、強風に煽られた時に壊れないかはもちろんですが、絵付でも染料の特性を理解して色を選ぶことや、線一本でも滲まないように気をつけながら引くこと。
いい凧がお客様の手に渡らないことには、凧の魅力も伝わらないと思うので、そういったプロ意識を持って凧作りをしていくことを大切にしています。
遠州横須賀凧の魅力でもあり、難しいところは12種類あるところです。
それぞれ全く形が違うので、職人は12種類の骨組みを覚えるのが結構大変なんですが、かえって作り甲斐があると思います。
表の絵がきれいであることも大事ですが、凧は揚げて楽しむものですから、まっすぐ揚がる凧を作ることが一番大事です。
均等な太さの竹ひごを作って、左右対称になるように組んで曲げていかないと、空に揚がった時にバランスがとれずに落ちてきてしまいます。
私は本格的に凧作りに取り組んで40年以上経ちましたが、今でも自分の作った凧が空に揚がるのを見るとワクワクします。
隼大も私と同じように凧が好きですから、きっといい凧を作れる職人になると思います。
今回の取材で最も印象に残っているのは、「凧は揚げるとすごく楽しい」という隼大さんの言葉だ。それは師匠である祖父、昇さんも全く同じ。揚げることが楽しくて面白い。だから自分の手で凧を作ることが大好きで、多くの人にこの楽しさを知ってもらいたいという思いが、常に溢れる取材だった。
実際に隼大さんが作った凧を揚げさせてもらったのだが、糸から手に伝わる風の重み、大空にゆったりと浮かぶ姿に夢中になった。ただ、現在では揚げられる場所も減り、全国的に和凧職人は高齢化もあり後継者不足、存続の危機に瀕している。隼大さんは、全国的にみても稀有な20代の和凧職人。「プレッシャーなどありません。楽しいものなので、楽しく作ります」この言葉に、500年の歴史を背負う覚悟を感じた。今の隼大さんの姿を覚えておきたくて、凧を一つ注文した。東京の空に揚げて、皆に自慢したい。
静岡県掛川市横須賀地区の伝統的な凧。熨斗やとんがりなどの祝い凧や、生き物を模した凧など、ユニークな12種類の形があるのが特徴。
戦国時代に敵の陣地の測量や通信手段として使われたことに始まり、その後、元禄年間(1688~1703年)、城主の西尾隠岐守忠尚の加増を祝って家臣たちが凧を揚げたことで祝い凧として広まったとされる。
1700年代になると庶民の間でも凧揚げが盛んに。音の鳴る凧や大凧など、派手な凧を競い合って揚げるようになり、しばし禁止令がでるほどまでの大流行となった。
やがて凧を揚げて良い期間が4月下旬から5月までに定められたことにより、男児の節句のお祝い品として定着した。現在は凧を揚げられる場所が減少傾向にあるが、毎年2月の凧揚げ祭りには、全国から沢山の愛好家が集まる。