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Nagao Takashi
1988年 岐阜県出身
下呂市の農家に生まれ、当初はトマト農家を志して飛騨市河合町に移住。
知人から誘われて山中和紙職人の清水忠夫さんの仕事を手伝ったことがきっかけとなり、自身も和紙職人を目指すことを決意した。
夏はトマトづくり、冬は紙漉きという二足の草鞋を履き、農業経験を活かして和紙の原料となる楮や紙漉きに必要なトロロアオイも自身で栽培している。
和紙づくりの過程で生じる楮の削りカスや使い終わったトロロアオイの根も捨てずにたい肥として活用するなど、自然に寄り添いながら伝統を守り続けている。
生まれも育ちも岐阜ですが、岐阜県で和紙といえば美濃和紙で、僕も飛騨の方に来るまでは山中和紙の存在を全く知りませんでした。
他の和紙だと楮の他にも雁皮や三椏も入れますが、山中和紙の場合は楮だけでつくります。
和紙の材料づくりもトマトと同じように農薬を使わず、また原料処理や保存の際も薬品を使わずにやりたいと思っていたので、全部が自家栽培で完結できることも魅力でした。
もともとトマト農家だったので、冬にできる仕事として紙漉きがちょうどよく一年のサイクルにはまるので、ここまで本格的にやることができたと思います。
山中和紙は、俗にいう高級和紙ではないですが、素朴で親しみやすいといった意味での「いい紙」だと思っています。用途は襖や障子、紙製品や卒業証書などにも使われます。
山中和紙は和紙づくりに必要なすべての材料を自分でつくることができるので、手をかければ手をかけるほど、いい和紙づくりを追求できる点が気に入っています。
僕がいい紙をつくることで、「山中和紙は素晴らしいものだ」と思ってもらえたら嬉しいですね。伝統を途絶えさせないためにもいい紙をつくれるようになりたいです。
僕が出会ったのは、清水さんがだいぶご高齢になられてからでしたが、シャキシャキと動いて仕事をされていたのがとても印象に残っています。
ベテラン職人というと、気難しくて口数少ないイメージを持たれやすいですが、清水さんは非常に優しくて、なんでも教えてくれる人でした。
僕が後を継ぎたいと申し出た時も、すごく喜んでくださったことを覚えています。
清水さんはいつも「いい和紙はいい材料から」とおっしゃっていました。
和紙づくりは材料になる植物を育てるところから始まっていて、またその材料の処理の過程でも手を抜かないことが大事で、いい和紙は地道に材料と向き合った先にあるということです。
水にネレと楮を混ぜてる時にまだ迷ってしまうこともありますが、清水さんが安心して後を任せられる職人になりたいと思っています。
飛騨河合で800年続いてきた山中和紙。しかし残念ながら現在では技術を持つ職人はたった2人となってしまったが、長尾さんの場合、なるべくして後を継ぐ人物だと感じずにはいられない。自然に寄り添いながら有機農法で作るトマト。そのポリシーを大切にしたまま行えるのが山中和紙づくりだからだ。トマトづくりは夏、和紙は冬と見事に一年のサイクルに当てはまるのもよかった。ひょっとしたら山中和紙の神様が長尾さんに後を継ぐように導いたとしか思えないくらいだ。
大雪の降る日も、凍えるような水の冷たさでも、長尾さんは和紙づくりの工程を一つ一つ丁寧に行っていた。塵よりも楮たくりも、紙漉きも、すべてが時間のかかる作業。しかし手を抜く場面は一つもなかった。長尾さんならきっとこの先も山中和紙を途絶えさせることなく次の世代に引き継いでくれるに違いない。
岐阜県飛騨市河合町の伝統工芸品。
他の和紙では楮の他、三椏や雁皮を入れて作られるが、山中和紙は楮のみで作られ、原材料の栽培から全て職人によって行われている。
また、雪の上で直接楮を晒して紫外線と空気中のオゾンの力で漂白する「雪晒し」により、白くて美しい和紙が仕上がる。
河合町では約800年前から紙漉きが行われていたとされ、飛騨地方の歴史書「斐太後風土記」にも紙漉きの様子が描かれている。
最盛期の江戸時代では200戸以上の紙漉き農家がいたともいわれており、大正時代には97戸の紙漉き農家がいたという記録が残っているが、後継者は減少の一途をたどり、現在は2人の職人によってその技術が守られている。