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Ito Hiroshi
1990年 長崎県出身
大学を中退しバックパッカーとなり世界中を旅していたが、30歳の時、古民家の修繕をする兄に、山形県西川町大井沢に呼ばれる。
地域の人々と交流する中で大井沢の民藝品である山葡萄つるかごに出会う。
山葡萄つるかごのほか、藁細工などの数々の手仕事が、後継者不足により存続の危機を迎えていることを知って、自分が伝統を継承していくことを決意した。
改修した古民家で宿泊施設を営みながら、作品制作に日々勤しんでいる。
特に師事した職人はおらず、地域のベテラン職人たちとの交流の中で腕を磨き、日本民藝館展に3年連続で入選した。
大井沢に来て、最初につるかごをみた時に思ったことは「綺麗だな」ということでした。
持ち主の人から「大井沢の職人さんが手作りで作ってるんだよ」と聞いて、それまでバッグなどを見ても何とも思ってなかったんですけど、「実際に手を動かしてこれを作っている人がいるんだ」と知って、手仕事に対するリスペクトが生まれたことがきっかけで、自分も職人になりたいと思いました。
ただ美しいっていうだけじゃなくて、「人々の生活に根付いて、支えているもの」っていうところにも惹かれました。
僕の場合は弟子入りもしていないですし、誰か一人に教わったわけではありません。
最初は地域のみなさんとコミュニケーションをとるために、「作り方を教えてください」って話しかけて、教わっていました。それで、実際に作ったものを見せに行ったら予想以上に喜んでもらえたんですよね。
最初は受け入れてもらえるか不安でしたが、小さな集落でみんなで助け合いながら生活しているので、移住者の僕にも優しく接してくださいました。
素材が自然のものなので、毎回同じようにできませんが、その度に自分で「どうしたら綺麗にできるだろうか」と考えて解決していくのは楽しいですね。
僕が大井沢に来た時すでに、つるかごだけでなく、藁細工など他の民藝品も後継者がいなくて、途絶えてしまう未来が見えている状態でした。
今、大井沢の手仕事を将来続けていけるのは僕だけになってしまいましたが、その点については、「僕が何とかしないと」というよりは「なくなってしまうのが惜しい」という気持ちの方が大きいです。
きちんとしたものを作って発信していけば、僕みたいに魅力に惹かれて作りたくなる人はいるだろうと思うので、これからも大井沢のつるかごの魅力を知ってもらう活動をしていきたいです。
髭を蓄えた個性的な風貌。移住者であり、特定の師匠を持たない職人。一見、伝統的な民藝品を受け継ぐ作り手とは思えなかった。しかし、その印象は取材初日で覆された。作り手にしか分からない細部へのこだわり、尽きない知識欲。伊東さんは、自らの美意識を極限まで追究する稀有な職人だったのだ。
要領の良さ、便利さが求められる時代にあっても、無駄を恐れず、自分の作りたいものを追い求める。そのぶれない姿勢が、大井沢の人々を惹きつけている。
自然のしなやかさ、道具としての機能美、職人の技。そのすべてが、伊東さんの山葡萄つるかごには宿っているように感じた。
伊東さんは、今できる最高のものを作ることに重きを置く職人。だからこそ、自然の素材を使った一期一会の作品が生まれるのだろう。
山間部で採取される山葡萄のつるの皮を素材とする編み細工。
豪雪地帯の冬場の農閑期の手仕事として、農具や収穫物を入れる背負い籠を作ることが始まりとされている。
1970年代ごろから、日常的に使える手提げのかごとして作られるようになる。
丈夫で機能性に優れ、使えば使うほど色が深まり艶を帯びていくのが特徴。
近年、素朴な美しさや温かみが高く評価され、注目を集めている。
山形県西川町大井沢付近では、過疎化や高齢化に加え、材料となる山葡萄の減少などの影響もあり、現在の作り手は伊東さんの他数名ほどとなっている。