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Yuhara Sho
1996年 岐阜県出身
飛騨高山地域の祭事の衣装を手がける唯一の染色工房、「ゆはら染工」の六代目。
幼少期から両親の仕事を見て育ち、中学生の頃には自然と「自分は六代目になる」という気持ちが固まっていた。
大学は美術科に進学し、染色とデザインを学ぶ。大学の課題で制作した手拭い「蒙霧升降」が好評で、のちに工房の商品として販売されることになる。
卒業後は岐阜県内の染色工房に入り、4年間修業ののち、ゆはら染工で正式に修業を始める。
父とともに、飛騨染最後の職人として伝統を守るため、日々研鑽を積んでいる。
子供の頃から両親の仕事を見ていて、自然と「跡を継ぐんだな」って思うようになりました。
技術的なことは学校で教えてもらうことができましたが、就職して仕事になると、上手くいくのが当たり前で、失敗は許されないという意識を持つように。
実家に戻ってからは、闘鶏楽の衣装は白地にはっきりした色で細かい模様を染めるので、より慎重になりました。
お祭りで祖父や父が作った衣装を見ると、これから僕一人で全部やるプレッシャーももちろん感じますが、代々守ってきたものを受け継いでいけるよう、精進していきたいです。
※ 闘鶏楽…飛騨高山地方の春の祭礼で行われる神事。龍や鳳凰があしらわれた飛騨染の衣装が用いられる。
実家の工房に入ってからは、最初は黄色など淡い色から染めに挑戦して、徐々に濃い色のところや細かいところをやるようになりました。
闘鶏楽の龍と鳳凰は江戸時代から受け継がれている絵柄なので、クオリティを落とさずやっていきたいですが、父に比べるとまだまだ未熟です。
ぼかしの技術も向上させたいですが、作業のスピードも早くしたいです。
必要以上にこだわりすぎるところもあるので、見極めができるようになりたいです。
同じものをずっと作り続けるからこそ、一つ一つの作業に課題をもって取り組みたいです。
聖は子供の頃から「六代目になる」と言っていました。
僕が中学生の時にすでにうちが最後の一軒になっていて、継いでくれるのは嬉しいけども、その先が心配でもあります。
僕が今の聖に求めているのは作業の正確さを維持しながら、かつ早く仕上げることです。
技術的にはもちろん向上心をもって取り組んでほしいですが、ある程度のことはできています。
あとは、顔料は乾くとムラがより目立ってきたりもしますので、顔料が乾燥したときのことを想像しながら染めることができればいいかな、と思います。
柚原聖さんは、決して前へ出るタイプの人ではない。取材中も言葉は多くなく、少し考えてからぽつりぽつりと話し、非常に大人しい印象だった。
けれど冬から春にかけ取材を続けるうちに、印象は変わった。中学時代の英語のスピーチコンテスト、その後のカナダへのホームステイ。大学時代にはデザインを学び、他社への修業も行った。静かな人だが、知らない世界へ踏み出す力はしっかりあるのだ。
父・雅樹さんの技術にはまだまだ届かない。顔料を使った色作りもこれからだ。それでも祭りの日、自分が染めた闘鶏楽の衣装が人々の中で息づいているのを見て、聖さんはあらためて筆を握る意味、祭りの歴史を支える意味を確かめていたように見えた。次の一枚へ。その歩みはもう始まっている。
岐阜県高山市周辺に伝わる染色技術。大豆で作る「呉汁」と呼ばれる液体に顔料をといたものを用いて布を染め、また豪雪地帯特有の「寒晒し」で呉汁のタンパク質や油分を乾燥させることによって生まれる鮮やかな色彩が特徴。
最盛期には飛騨高山地域には多くの染物屋があったが、現在伝統的な製法を受け継ぐ工房はゆはら染工ただ一軒のみとなっており、高山祭などで行われる伝統的な神事「闘鶏楽」の衣装の他、獅子舞の油単など周辺の祭り衣装、また神社ののぼりの制作を一手に引き受けている。