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シーサー職人
新垣 優人

Arakaki Yuto
1994年 沖縄県出身

読谷村で代々、家族でシーサーや器をつくってきた窯元「やちむん家」に生まれる。
大学在学中、父・光雄さんが京都の清水寺に奉納する龍の作品を見た時に、その造形の迫力と技術の高さに感動し、シーサー職人になることを決意する。
「明日への扉」では2020年10月に新垣さんのシーサーづくりを取材した。
今回は、あれから6年経ち、工房を背負って立つシーサー職人となった新垣さんの姿を紹介する。
オリジナル作品や、コラボ作品の制作に勤しむ中で、焼失した首里城正殿の復元にも携わった。
沖縄の職人たちと力を合わせ、伝統を守り続けている。

悪いものを追い祓う、勇ましい「守り神」。
一点一点、願いを込めてつくられる。

首里城正殿の鬼瓦

沖縄のシンボルである首里城正殿の復元に携わることができて、とても誇らしかったです。
鬼瓦の復元の依頼が来たタイミングで父が病気になり、その時にもし自分が信頼されてなければおそらく断っていたと思うのですが、「僕に任せる」と言ってくれたことがすごく嬉しかったです。
自分の仕事が父に認められたというか、横に並べるところまで来たんだな、と思いました。
復元っていうのも初めての挑戦で、昔の写真を見ながら全く同じようにつくることが大事だったので、それも難しかったです。
首里城は火災で焼失してしまった過去がありますが、シーサーの持つ「ヒーゲーシ(火返し)」の力でもう二度と火災が起きないよう、願いを込めてつくりました。

「多くの人に親しみを持ってもらいたい」と語る優人さん。
職人としての挑戦は終わらない。

多くの人に
愛されるシーサーを

シーサーは四足歩行の獅子の形が一般的ですが、形に関しては「こうでなければならない」という厳格な決まりがあるわけではありません。
僕は最近、直立二足歩行の姿勢のシーサーをつくったりもしています。
直立二足歩行の形になると、大胸筋や腹筋など、普段つくっているシーサーでは隠れている部分が見えるようになるので、そこを追求して造形していくのがとても面白いです。
普通の焼き物では使わない技術を使って装飾が壊れないように工夫したり、職人として挑戦していけるような作品をつくったりしていくことで、自分が成長していけると思います。
皆さんにも、いろんなシーサーを見てもらって、楽しんでもらえたらと思います。

新垣 優人さん
弟子
新垣 優人さん
新垣 光雄さん
師匠
新垣 光雄さん

師匠
新垣 光雄さん

優人は意欲的にいろいろな作品をつくり、工房の柱となる職人に成長してくれました。
私が病気になって作品をつくれなくなってからは特に、優人が他の従業員たちと力を合わせて工房を守ってくれています。
首里城の鬼瓦の依頼が来た時も、優人がいなかったら自分は断っていたと思います。
沖縄のシンボルである首里城の正殿の鬼瓦で、しかも復元という依頼ですから、自分達で作品をつくるのとは大きく違うところもありました。
制作していく中で紆余曲折ありましたが、無事に正殿に設置されて、これからは首里城を見守る存在となっていくことは、沖縄県民としても感慨深いです。

取材を終えて

間もなく完成を迎える首里城正殿の屋根には優人さんが手がけた鬼瓦が設置されています。鬼瓦と言えば迫力のある表情のイメージですが、首里城の鬼瓦は愛らしく、どこかキャラクターのような雰囲気です。争いを好まない琉球の人々の心の表れだと想像ができました。優人さんは鬼瓦をつくる時、「もう二度と火災が起きないように」と、火除けの想いを込めたそうです。そんな想いが詰まった鬼瓦は屋根の上から首里城と沖縄の平和を見守っています。正殿を見上げると鬼瓦と目が合い、心がホッコリしました。

シーサー

シーサー

沖縄の多くの家の屋根や門前に設置される守り神。
紀元前、古代オリエントのスフィンクス(権力の象徴)がシルクロードを経て、13~15世紀頃、沖縄に伝来したといわれる。
名前の由来は、獅子が沖縄の方言によって、シーサーと言い換えられたことがはじまり。
明治22年に民家に赤瓦の使用が許されるようになり、瓦職人が漆喰のシーサーを作ったことがきっかけで、多くの民家に魔除けとして設置されるようになった。
魔除けや、災厄から守ってくれるなどのご利益があるとされ、沖縄の守り神として定着している。